いつの時代の固定観念

中学時代の英語の授業で、確実ではないという意味の「たぶん」は“maybe”、好きでも嫌いでもない、という時などの「まあまあ」は“so so”と習った。だが、教科書で学ぶコトバと実際に使われているコトバが微妙に違うという事実は、どの言語も同じこと。日常の日本語会話で「私は今から学校に行きます」「あなたはどうやって学校に行くのですか?」「私はバスで学校に行きます」などという言い方は、普通しない。留学に憧れて憧れて燃え盛っていた頃に読んだ留学体験談に「現地の人から、君はよく“maybe”を使うね」と言われ、日本人の曖昧さを指摘された、と書いてあった。確かに、“maybe”を多く使う日本人を茶化している現場に居合わせたこともある。とはいえ、実際、現地の人も“maybe”は使う。ところが、“so so”はほとんど聞かなかった。好きでも嫌いでもない。どちらでもない。そういうどっちつかずのこと、人間ならばあるはずなのに、英語圏の人にはそういう感情はないのだろうか?と思った。僕がたまたま“so so”と言った時、相手は笑いながら「“so so”なんて言うのは日本人くらいだよ」と言うではないか。ならば何て言えばいいのか訊いたところ、「そういう場合は、“It's OK”って言うのが一般的」ということだった。

それがフランス語でも同じだった。「まあまあ」という意味で習った“Comme-ci, comme-ca”は、通じるけれどやはりあまり聞かず、“It's OK”のようなニュアンスで“Ca va”と言う方が一般的のようだった。

何かと「あ、それは日本人の決まり文句!」などと言われるとムキッとなる僕。どうも、固定観念にとらわれた日本人イメージは、あまり良くないようで、どうもいい気がしない。それでも最近は、少しずつ、変わってきたかな、という印象もあるのだが・・・。

去年の夏、北欧に行った時のこと。ノルウェーで、一日フィヨルド観光ツアーに参加し、バス移動する際、ちょうど近くに若いスイス人女性が座っていた。何らかのきっかけで会話を始めた。僕が日本の、東京から来たことを知るや否や、
「東京ってどんな街?すっごく大きな街なんでしょう?この間、“ロスト・イン・トランスレーション”っていう映画観たんだけど」
と切り出してきた。日本を小馬鹿にしたような描写で、僕がかなり腹を立てた米映画!(こちらを参照)
「あの映画は、すっごく悪い映画!大嫌い!」
と言うと、「私は好きな映画だった!日本人って、皆あんなにクレイジーなの?」
なんたる質問・・・。
「あの映画はね、アメリカ人の偏った固定観念で作られた映画だから!」
僕が興奮しながら言い放つと、前の席に座っていたアメリカ人軍団がチラリと僕を見た。更に「文化のない国の・・・」と言おうとして止めた。前にいるアメリカ人が文句を言ってきても負けない自信はあったが、楽しい旅行の場で、嫌味を言うのも聞かされるのもナンだと思ったわけだ。

その後、日本食の話になった。日本食の代表格と言えば、寿司。毎日食卓に出るわけでも、しょっちゅう食べているわけでもないが、とりあえずは有名な料理だ。すると、そのスイス人女性は、露骨に“気持ち悪い”という顔をした。確かに、魚をあまり食べない国の人にしてみれば、生魚は気持ちが悪いかも知れない。ヨーロッパ人は生魚は食べないから・・・みたいなことを言うので、
「僕の知る限り、フランスでも北欧でも寿司は現地人の間で大人気だよ。確かに寿司好きなスイス人に会ったことはないけど」
と言うと、慌てたように「スイス人でも好きな人はいるけど・・・」と返してきた。そこで僕は久々に思い出した。僕が会うスイス人のほとんどが、生魚の話をすると露骨に嫌な顔をし、日本食に対していいイメージを持つ人が少ないのだ。あの時もそうだった。

彼女は、「スイス料理で特別なものはないけれど、チョコレートは世界一美味しい!」と言ってくるも、自国の食文化をけなされて、いじけている僕は「それで?」状態である。そこにフェアーな会話は成り立っていないのだ。

更に、「日本にはスイス人沢山いる?スイスには沢山の日本人観光客がやってくるよ。皆、カメラ持ってパチパチ写真撮ってんの!」
ちょっとキミ、いつの時代の話を持ち出してんの?と言いたくなってしまった。こんな話は、もう反論するのも面倒臭くなってしまうようなエピソードだ。確かに、昔はそうだったと思う。日本人=カメラ。そうやって皮肉な描写もされていた。だがこのご時世、写真を撮らない観光客がどこにいる?あなたが使っているその性能のいいカメラ、日本製じゃございません?きっと、日本は世界で最も早くカメラが日常的になった国のひとつであろう。しかし今、それはもう海外旅行をするような人たちは日本人に限らず、皆カメラを持っている。時に日本人以上だ。

「日本人はいつもカメラ持ってパチパチ写真撮ってるよね」という、以前はよく聞かされた皮肉を、最近聞かなくなったなぁ、そうか、もう“日本人だけ”という時代じゃないもんな、なんて思っていた矢先のことである。そしてまた思い出してしまった。何かとそういう固定観念をしつこく持ち出してくるのは、なぜか僕が会うスイス人に多い!

そんな迷信にもなりそうな古い固定観念を持ち出した、かくいう彼女は、バス移動中、凄まじく高くて、崖っぷちのように細い道を通っている最中、
「ここからじゃ窓の下の景色が撮れないから、このカメラで撮ってくれる?」
と言って、窓際に座っている僕にカメラを寄越してきた。日本製だった。


怒!

エッセイ目次