北欧・夢紀行
〜フィンランド Vol. 2〜

1999年8月5日(金)。朝、近くの大聖堂の写真を撮って、ホテルに戻ろうとしたところでミカエルに会った。チェックアウトをしようとしたら、なんと支払いはミカエルが既に済ませてくれていた。食事代も宿代も全てミカエルが払ってくれていたので、申し訳ない思いと感謝の思いが交錯した。

今日は中部フィンランドのユヴァスキュラに行くことになっていた。ミカエルが車で駅まで送ってくれた。最初から最後まで本当に手厚くもてなしてくれて感激の嵐だった。

それにしても、なぜユヴァスキュラ?と、ミカエル夫妻には不思議がられた。特に何もない町なのに。実は、1年前に偶然大学の購買部で見かけた「フィンランド留学日記」(古橋寛子著)を何百回と読んでいて、その舞台となっているのがユヴァスキュラだったのだ。本の中に出てくるユヴァスキュラの町をとにかく歩いてみたかった。偶然にも、ミカエルが住むトゥルクも、先に訪れていたストックホルムも、留学日記の中に出てくる町で、僕はいたく感激していたのだ。

初めて乗るフィンランドの列車。あまり人も乗っておらずゆったりとした、清潔な車内から眺める窓の外は、あいにく小雨。それでも僕はとても満たされていた。今、自分は本当に、ずっと憧れ続けていたあのフィンランドにいるんだ、という感慨深さに酔いしれながら。ユヴァスキュラに到着すると、ホームにはツーリスト・インフォメーション・オフィスのボランティアの大学生2人が立っていた。ホテルを探していると声を掛けると、オフィスまで案内してくれた。トゥルクと同様、サマーホテル(大学の寮)を予約してもらった。今後の予定を訊かれ、明日はヘルシンキに行くと告げると、まだホテルを予約していないなら、今ここで探して予約をとってくれると言うので、お願いした。

サマーホテルはトゥルクのそれよりも広くて(勿論綺麗で)驚いた。こんな大学寮に住めたら気分いいなぁ・・・。荷物を置いて、早速「フィンランド留学日記」を持って町を散策。本に書いてあるところをくまなく歩いてみた。とにかく「ここはフィンランド」というだけで、もう何を見ても感激する僕だ。歩き歩き歩き、撮る撮る撮る。本に載っている何気ない森の風景、そこにどうしても行きたくて歩き回っていたが見付からない。おばさんに声をかけ、写真を見せると、地図を指さしながら「この辺りじゃないかしら?」と教えてくれた。・・・が、実際に行ってみると違った。明日の朝再チャレンジだ!

昨日、不意に開けてしまったフィルムを早速写真屋に出し、スピード現像してもらい、ドキドキしながら見てみたら、1枚だけ色がおかしなだけで、他は大丈夫だったので一安心。ショッピングモール(といっても小規模)に入り、店を見て回り、公衆電話で日本の家族に電話をし、この興奮ぶりを伝えた。

ここユヴァスキュラは、フィンランドを代表する近代建築家アルヴァ・アールトの出身地で、町には博物館がある。それ以外は特に目ぼしいものは何もない小都市なのだが、博物館に入ったら、日本人の団体がいて驚いた。通常、フィンランドの主な観光地ツアーといえば、ヘルシンキ、ロヴァニエミ(北極圏)、タンペレ(ヘルシンキに次ぐ第二の都市)、トゥルクくらいかと思っていたのだが。

とにかく午後中ずっと歩き回っていたのでクタクタになりながらホテルに戻ると、部屋のドアの下に置き手紙が挟まれていた。何だろう?と思い見てみると、先ほどホテルの予約をしてくれた、ツーリスト・インフォメーション・オフィスからの手紙だった。それには手書きで、明日のヘルシンキのホテルの予約日時を間違えてしまい、予約し直そうとしたら明日は既に満室だったので、別のホテルを予約した(しかしツインの部屋)ということと、丁重な詫び文が記されていた。なんて親切なんだろう!と、またまた感激。

夕食を摂ってから、念願のサウナへ。サウナはフィンランドが発祥で(サウナという言葉もフィンランド語)、大抵どのホテルにもサウナが付いている。誰も入っていなかったが、しばらくすると20代のフィンランド人がひとり入って来た。彼はどんどんサウナを熱くし、「まるで地獄だね!」と笑いながら言った。どこから来たの?と訊かれ、しばらく会話が続いた。

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異国にて…

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