1999、夏、イタリア珍道中シリーズ
Vol. 2 「玉ねぎ」

出発前からなんやかんやとトラブル続きだったが、なんとか宿も取れて、落ち着けた。ホテルは駅からも近く、なかなかだった。

ヴェニスは水の都。車は走っていない。移動の手段は徒歩か水上バスだ。そのヴェニスから船で程近いブラーノという島に早速行ってみる。ビックリする程カラフルな町だ。というのも、家々が一軒一軒、赤だったり緑だったり青だったり、それはそれは鮮やかに塗られていて、とても綺麗なのだ。だが、ギリシャのように、それは観光客用に毎年塗り替えられているのだろうということは容易に察しがついた。なんと言っても、イタリア自体が観光で成り立っているようなものである。

夜はゴンドラに乗った。まぁ、こんな観光産物に乗るのは日本人くらいだと言われるが(そんなことはない)、夜の静かな町をゴンドラに揺られながら眺めるのもなかなか風情があって良かった。ヴェニス自体は気に入ったが、どうも食事には失敗する。観光客向けのレストランに入ってしまう為、高い故にあまり美味しくない。だが、イカの天ぷらのようなものが出てきて少し感激する。

翌日の朝、早速電車に乗り次なる目的地・ジェノヴァに移動。この3人は、面倒臭がりである上、飽きっぽい。気に入ったと言いながら、ヴェニスには1日も居なかったことになる。ジェノヴァはMが「イタリア・リビエラ」という言葉に惹かれて、行きたいと言った町だ。約5時間かけて辿り着いたその町に、3人共怯える。そして失望・・・。(後日談:後で知ったことだが、ジェノヴァは港町ということもあり、やはり治安は悪いそうだ)

まず、ホテル探しにはさほど手間はかからなかった。「ホテル・ローザンヌ」という安ホテルが通りがかりにあった。そのホテルに惹かれた理由はただ一つ。「ローザンヌ」だからである。スイスのフランス語圏の一都市。英語もフランス語も通じにくいこのイタリアで、もしかしたら言葉が通じるかも知れない!という安易な期待だったが、見事に外れた。まず経営者がスイス人というわけではなく、怪しげなイタリア人のオバハンだった。そして、何から何まで怪しい雰囲気を漂わせていた。フロントの横にあるサロンには、怪しげなオッサン共が集っている。まるで「マフィアの館」のようなホテルだ。部屋はだだっ広く、なんとなく落ち着かない。トイレ、シャワーは共同だ。

ま、安宿なのだ。

バスに乗る。どうも行きたいところまで辿り着かない。どうやら、方向を間違えたらしい。来た道を戻る。もうバスには乗らず、中心街にある美術館や博物館に歩いて向かうも、すべて閉まっている!夕方に近い時間だったのだが、もう閉店していたのだ。途方に暮れつつも、最後の砦、「イタリア・リビエラ」要は海を見に行こうということになった。しかし、歩いても歩いても辿り着かない。挙句の果てには、高速道路みたいなところに出てしまった。その向こうに確かに海は見えるが、ロマンテックな砂浜ではない。そして、諦めて引き返す。

夕飯を摂る為に、パニーニ屋に入る。そこでは、どの具を入れるか自分で決めることが出来た。が、ここでも英語もフランス語も通じない。フランス語とイタリア語は兄弟言語なので、単語は随分似通っている。ところが、食物に限っては驚くほどに違う。僕はその時、パニーニには何を除いても玉ねぎとキノコを入れたかった。他の野菜に至っては、なんとか伝えられたし、キノコはイタリア語で“フンギ”ということを事前に知っていたので、問題はなかったのだが、どうしても玉ねぎだけは通じない。フランス語も英語も“オニオン”と言うが、イタリア語ではどうやら違うらしい。野菜で、白くて、こんな形してて、と言っても分かって貰えない。なのにフランス語で「野菜」を意味する“レギューム”と言うと、それはそれで何故か通じる。その若い店員が、他の店員に「このお客さん、“オニオン”が欲しいらしいんだけど、“オニオン”って何?」と聞きまわっても、誰一人として“オニオン”を知る者はその店にいなかった。ようやく、店に入ってきた人が“オニオン”とは何かを知っていて、店員は笑みを見せた。イタリア語で玉ねぎとは何て言うのか聞いたところ、“チポッラ”だと言う。同じラテン語族でもフランス語とは随分違うのだ。

注文も無事に終え、テーブルでパニーニを待っていた。そして、運ばれてきたパニーニを食べて、唖然。あれほど注文に難航した玉ねぎが入っていない・・・。その瞬間、先程の店員を見ると、すぐに目が合い、「あ〜!!!!」という顔をして、顔に手を当てていた。すぐに僕のところに来て謝ってくれたのだが、なんとも玉ねぎには逃げられたものである。

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異国にて…

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