第41話
年末年始の出来事

12月28日(月)。年末年始はリンゴとポン子とパリで過ごすことになっているのだが、なぜかポン子から連絡がない。スイスに行く前日にポン子と電話で話した時は、年末前にトゥールにいる知り合いのところに遊びに行くと言っていたので、泊まり先の電話番号を手紙で知らせてと言っておいたのだが、26日に届いたポン子からの手紙には記されていなかった。ポン子の寮に電話しても掴まらず、リンゴに電話してみると、やはりポン子からは連絡がないと言う。
「ロワール川に飛び込んだんじゃないだろうか?」
突然リンゴがそんなことを言うので心配になった。とりあえず連絡が来るのを祈るのみ。

ポールの友達ルドヴィックから何度か電話が来て、その都度「(ポールは)いない」と告げていたのだが、終いには「何か隠してない?」と疑われてしまった。本当に不在だったのだが、隠す理由がどこにあるんだ??!! あっちもこっちも連絡つかずなんだなぁ。

12月29日(火)。朝起きて、ドキドキしながら郵便受けを覗く。家賃の請求書と、日本の友達から手紙が1通のみで、ポン子からは何も届いていなかった。

最近、音信不通になっている高校時代の友人や中学時代の同級生の夢をよく見る。しかも、あまりいい夢ではない。しかしそういえば、アメリカ時代は日本に帰国する夢を見てハッと目が覚めることがよくあったが、フランスに来てからそういう類の夢は一度も見ていない。

午後、家の近くにある図書館にインターネットをしに行ったが、調子が悪いようなので諦めて外に出た。暇なので珍しく散歩。通ったことのない道を通り、城塞の近くまで行ってみた。冬のブザンソンも美しいものだ。

12月30日(水)。相変わらずポン子からは連絡がこない。リンゴとは頻繁に電話のやりとりをしていたが、電話が鳴る度に「ポン子?!」と思いドキッとする。3時頃、ポン子の寮に電話をすると、「10分前に出かけた」と言う。なんたるタイミング!再度7時半に電話をしても不在と言われる。電話をくれるようにメッセージを残しておいてもらっているのに、かかってこない。再びリンゴと悪い妄想にかられる。絶対に何かあったに違いない・・・。僕とリンゴは明日パリで待ち合わせ、ポン子のいるポワチエに向かうことにした。

本来ならば、僕たちは明日3人でパリで会うことになっているのに、夜になってもポン子からは連絡がなかった。とにかく無事であることを祈りながら、眠りについた。

12月31日(木)。1998年最後の日。ポン子から連絡がないまま、朝パリに向かい、モンパルナス駅でリンゴと落ち合った。お互いとてつもない不安を抱えつつも、パリからポワチエに向かうTGVの中では、その不安を取り払うように陽気に話し、冗談を言って笑い合った。ポワチエに着くまでのほんのひとときのことだ。1時前に着き、ポン子のいる寮に向かった。しかしポン子は依然として不在。もしかしたら帰って来るかも知れないからと、僕たちは寮で待ち続けた。それでもポン子は現れなかった。
「これからどうする?ポワチエに泊まる?それともパリに行く?」
夕方5時半まで待ち、僕たちはパリに行くことに決めた。

6時20分のTGVでパリに戻った。年末のパリはお祭り騒ぎで騒々しい。僕たちはレストランで新年を迎えた。1時過ぎに店を出たが、物凄い人。既に地下鉄は終わっていてタクシーも掴まらず、ユースホステルに行く手段がないので、シャンゼリゼ通りのカフェで朝を迎えた。大混雑の街は、ゴミの山だった。

リンゴはレンヌに帰ると言い、8時20分のTGVでパリを去って行った。僕は、とりあえず日本食料品店「京子食品」とジュンク書店に行ってみたが、さすがに元日はどこも閉まっていた。休みだらけのパリにひとりで居ても仕方がないので、10時過ぎのTGVで僕もブザンソンに戻った。

1月2日(土)。昨日パリから戻って夕方4時にベッドに入り、19時間も寝た。一度、9時頃ポールに起こされた。僕宛に電話だと言う。
「英語で話してるよ、この人」
寝ぼけた頭でポールの言葉を聞いた。
「英語?!なんで?」
「さぁ。アメリカ人のようだけど」
ボーッとしながら、なぜ英語を話す人から電話が来るのか検討もつかないまま電話に出た。
「コウ!」
おっ!!!聞き覚えのある声!なんと、アメリカ留学時代にお世話になったケネディー先生からの電話だった!しかしなんせ英語をずっと話していないばかりか、寝ぼけ頭である。咄嗟に英語が出てこない。ところどころにフランス語が混じってしまう。
「ごめん・・・なんかうまく英語が話せない」
「最近英語使ってないの?前よりもたどたどしいよ」
もどかしい思いをしながらも、何とか英語で話した。2月の休みにアメリカに遊びに行こうかな、と話すと大歓迎だと言ってくれた。話しているうちに段々英語の勘が戻ってきた。
「どう?さっきよりも英語がうまくなってない?」
「うん、さっきよりだいぶマシになった。実はさっきショックだったよ!こんなに話せなくなってるなんて・・・って。君はアメリカにいた頃、早口英語が大好きでしょっちゅう早口で言ってたじゃないか!」
「え〜?そうだっけ?どんな風に?」
ケネディー先生の、僕のモノマネに大声を出して笑った。懐かしいなぁ・・・あの頃。また連絡すると言って電話を終え、僕はまたベッドに戻った。

朝11時に電話のベルで起こされ、出るとリンゴからだった。
「ポン子から電話がきたの!!!今、あなたのところにも電話がいくと思うから、とりあえず切るわね!」
ホッと胸を撫で下ろした。とりあえず無事で良かった・・・。リンゴからの電話が切れてほんの数十秒後、再び電話が鳴った。ポン子からだった。

第42話につづく

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