第14話
ポン子の住む町へ

10月10日(土)。ポン子の住むポワチエへ行く。朝5時起床。やっとの思いでこの日を迎えた・・・今週は長く孤独な1週間であった。TGV(フランス版新幹線)をパリで乗り継ぎ、ブザンソンから約4時間かけてポワチエに無事到着。ポン子が見当たらないので、うろうろ探していると、後ろから気配を感じ、振り返った瞬間、ポン子がいて、2人で「オ〜!」と声を上げて驚き、周囲の視線を一斉に浴びた。

昼時だったので、レストランを探すも、田舎町のポワチエには数がなく苦戦。高そうなレストランに入り、67フラン(約1,500円)のセットを頼むと、出てきたステーキはほぼ生。焼き具合はミディアムにしたはずなのに・・・。案の定、下りました。この日から、フランスでステーキを頼む時はウェルダン(よく焼き)にしようと決意。フランスのウェルダンは、日本のミディアムという具合なのだ。だったら、フランスでレアを頼んだら、刺身が出てくるのだろうか?!

3時半まで店にいて喋りまくり、その後は4世紀に出来た世界最古の洗礼堂を見学したり、恐怖の館(ポン子命名。夏の間住んでいた、末恐ろしい学生寮、らしい)と、ポン子が現在住む寮も見て、夕方を迎える。またも、レストラン探し。「胃にやさしいものを」と言いつつ、今度はムール貝のレストランへ。しかし、昼に食べた生肉ゆえの「お下り」が治らず、味の濃いクリーム煮のムール貝料理がどうも気持ち悪い。

その後、アイリッシュ・バーに行き、夜中の1時半まで喋りまくる。喋り過ぎて喉が痛くなった。こんなの初めてだ。この地方のワインを頼んだら、タンスの味がした。
「あなたタンス食べたことあるの?」
ポン子がからかってくるので、「じゃあ飲んでごらんよ」と勧めると、
「ホントだ。タンスの味がする」
あっけなく同意した。後に、日本人にこの話をすると笑い話になったが、フランス人に話すと、「有り得るよね」と笑いもせずに返答された。

翌、日曜日。僕はホテルに泊まったので、朝8時に待ち合わせをしたのだが、ポン子がなかなか現れない。もしや事故にでも・・・?と不安がピークに達した頃、ヨレヨレフラフラなポン子が現れた。ここ田舎町では日曜日のバスは本数が「無い」に等しいくらい減少し、なんと1時間以上もかけて歩いてきたのだそうだ。バスに限らず、フランスは日曜日に休む店が多いので、朝食を店で摂ろうと思っても、なかなか探すのが大変だった。田舎ゆえに。ファーストフード店「Quick」も開いておらず、結局変なカフェでコーヒーとホットドッグを頼む。12時まで居座った。

お昼は胃にやさしいものを・・・というスローガンを掲げて、レストランを探すも、結局昨日の昼と同じレストランに入った。
「肉を食べずに、胃にやさしいものを頼めばいいんだもんね」
と言いつつ、アルザス料理のシュークルートを見つけた途端、他のメニューが目に入らなくなってしまった。2人共99フラン(約2,200円)のコースを頼んだのだが、案の定、気持ち悪くてゲッソリしてしまった。同じ失敗を同じ場所で2度も・・・。この店にはまたしても3時半まで居座った。2日中喋りまくりである。もしや、喉が痛いのは風邪?!と、2人して不安になる。

とてつもなく楽しく愉快な2日間だった。明日からは学校が始まる。現実がやって来るのだ。
「あー、ブザンソンに帰りたくない!」
「学校に行きたくない!」
僕たちは憂鬱になってしまった。しかも僕は今夜帰ったら、部屋にはアメリカ人学生が到着していて、対面を果たさなければならない。それを思うだけでもゲッソリしてしまう。そして、「なんでアメリカ人と・・・」と、今更言っても仕方がないことを口にしてしまう。清潔で、謙虚で、異文化交流が出来て、フランス語が上手くて、視野が広くて、見た目も良くて、性格のいい人だったらいいなぁ・・・と呟いたら、
「そんな人いない!」
と、あっさりポン子に言われてしまった。

別れを惜しみ、またの再会を誓い、悶々としながらTGVに乗り、ブザンソンに着いたのは夜。アパートの玄関の前で一呼吸をしてから呼び鈴を鳴らすと、現れたのは同い年の黒人青年だった。

第15話につづく

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