エピソード Vol.6
「アメリカ留学が残してくれたもの」

かくして、僕があれほどまでに熱中したアメリカという国に、再び熱意が傾くことはなかった。ただ、出会った人たちには感謝の気持ちで一杯だ。彼らとの出会いは僕の財産になった。きっといつの日か、また会えると信じている。

アメリカから帰国してから実に5年もの間、月に一度のペースで決まって見ていた「夢」は何を意味していたのだろうか。留学中、よく日本に帰国する夢を見ていたが、帰国してからは、「アメリカに戻る」という夢を見続けた。デニーとベリンダの家にもう一度ホームステイをするという夢だ。
「またここに1年間住むの?」
その現実に愕然としたところで、ハッと目が覚める。そして「夢で良かった」と心底思うのだった。またある時は、僕がアメリカを再訪し、とあるパーティー会場に皆が集まってくれるのだが、「休憩しよう」という誰かの号令のもと皆が外に出て、僕は中でひとり待っていたのに、誰一人として戻って来ず、外に出てみると誰もいなくなっていて、車がないと何処にも行けないこのアメリカで、僕はここからどうやって帰ればいいのか・・・と途方に暮れる夢だった。不思議とルイスヴィルの夢は全く見なかったが、毎月毎月、アメリカに関する夢は僕を途方に暮れさせ、愕然とさせ続けた。それはフランスに留学中も続いていた。そんな夢を全く見なくなったのは、フランスから帰国してからだった。フランス留学がすべてを消化してくれたのだろうか?

確かに、懐かしいと思うことはあっても、あの頃に戻りたいとは思わない。アメリカという国や、アメリカの国民性というものを、高校の時とは違う角度から見る機会を幾度となく与えられ、そしてまるで因縁のようにアメリカ人と出会うことも多く、僕は当時とは違う視点で見つめるようになり、見つめれば見つめるほど、あれほどまでに恋焦がれた国は僕の中から遠ざかって行った。だが、そういった視点をずらして考えてみて、あの1年間という短いようで長い、長いようで短い時間は僕に何を与えてくれたのだろう。きっと答えはひとつではない。無意識にそれを吸収し、自分の血、肉になっていることもあると思う。

ただひとつ、今、確信していることがある。12年前の日記を紐解き、今こうしてあの1年を丸々じっくり振り返り、過去の出来事を文字にしていく作業は「苦痛」ではなく「楽しい」ことであった。そして、そこに健気な自分を見た。意識せず、無意識に僕が実行していたこと、それは「決してあきらめない」ということだった。真っ暗なトンネルの中で、もう光が見える兆しもなく、周りが敵だらけだと思っても、実は見ていてくれる人が必ずいる。あきらめず、努力をして、自分なりに精一杯頑張っていれば、最終的には笑っていられるのだと、当時の自分に教えられた。辛い日々は長く続かないとよく言うが、まさにその通りだと思った。自分を信じて、あきらめずに「続ける」ということは大変なこと。でもあきらめてしまったらそこで止まってしまうこと、後悔すること、あきらめて途中で投げ出しては絶対にいけないということを、アメリカ留学は僕の体に深く残してくれた。

留学日記も後半になると、僕は随分笑っていることに気付いた。乗り越えた山が大きければ大きいほど、その笑い声も大きく、そして長く続くものだと思っている。



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