第71話
「帰国前の一週間」
後編

6月5日(月)。昼過ぎにケネディー先生とアトランタのダウンタウンへ。「一松」という寿司屋でランチ。その後、銀行で日本円をドルに換えた。当時は円高で、1ドルが100円を切っていた時代だ。1万3千円を持っていって、160ドルになった。1ドル約81円ということになる。物凄いラッキー。午後はモールに行ったものの、お土産は全部買えず。

6時半にミリン宅でパーティー。ケネディー先生、クローフォード先生、バートン先生が集まった。インド料理をご馳走してくれたのだが、僕の口にはあまり合わなかった。楽しくて大好きな先生たちとミリンの家族とで楽しい一夜を過ごしたが、なぜか頭が痛くて残念だった。

6月6日(火)。PIEから、まだ航空券が送られて来ず、僕は少し苛ついていた。出発は3日後だというのに・・・。電話をしたら担当者がおらず、伝言を残しておいた。

4時頃、フィリップに電話をするとお姉さんが出て、フィリップはいないと言う。何処に行ったのか訊くと、
「あれ、あなたの家に行ったと思うんだけど・・・」
と言うではないか。電話もしないで家に来るはずがないので、変だなと思っていたら、なんと数分後に本当にやって来た。
「シーズン・パス取ってこいよ!」
実は昨日電話した時点では、膝の調子が悪いから Six Flags には行かないと言っていたのだ。でも、シーズン・パスを作ったのと、僕の帰国が間近だということから、きっとフィリップは僕に気を利かせてくれたのだろう。車にはフィリップの友達ブラッドも乗っていた。フリー・フォール(物凄い勢いで真下に落下する乗り物)に5回くらい連続で乗ったら気持ちが悪くなった。

モールに行くと、プロムに一緒に行ったデスカと会った。僕の「お別れパーティー」にも来てくれることになっている。それにしても、モールに来ると誰かしらと会うものだ。そういえば半年位前に、クリスチャンと再会したな、と思い出していた。クリスチャンをしばらく学校で見ないと思っていたら、「妊娠したから休学してるのよ」と言うので驚いた。日本では考えられないことだが、アメリカの高校では結婚して子供までいる生徒が珍しくないのだ。クラスメイトで妊娠している人も結構いた。ベリンダはそういう傾向を好ましくないと言っていた。
「高校生なんてまだ子供じゃない。そんな状態で結婚して子供を産むなんて良くないわ。ちゃんと学校を卒業してからすればいいのに」
日本ではこんなことが日常茶飯事だなんて有り得ないと僕は話した。

今日、フィリップは別れ際、「君のお別れパーティーには行かないし、お別れのプレゼントも買わないから!」と言葉を残していった。勿論、冗談であることは分かっていた。

6月7日(水)。航空券がやっと届いて一安心。午後はベリンダと銀行に行って口座を締めた。その後、トリーの卒園式を観に行った。トリーは今夜から祖父母宅(ベリンダの両親宅)に行くので、僕とはなんと今日でお別れなのだそうだ。ダラスも今夜から祖父母宅(デニーの両親宅)に行くとのことで、彼らも会場に来ていた。久しぶりにダラスのおじいちゃんと話をした。
「君は何人兄弟だっけ?」
「一人っ子です」
「じゃあ甘やかされた?」
“一人っ子”と言う度に、必ず出てくる“甘やかされた?”という質問。そういう固定観念にはうんざりしていた。更に、
「Are you ready to go home?(もう帰国したい?)」
これも一年中僕に付きまとっていた質問だ。訊かれる度に失礼ではないかと心の中で反発していた。もうさすがにこの時期になると何でもないが。ええ、僕は一年中ずっと“帰国したい”と思っておりました。半分本心だ。

帰りの車の中で、ベリンダが「ダラスを空港に連れて行けたらいいのだけど」と言った。会場で僕はトリーともダラスとも何となく別れた。トリーはその状況を分かっていないようだったが、ダラスは心なしか寂しげな顔をして、いつまでも僕を見ていた。ベリンダは前からダラスを空港に連れて行けたらと言っていたので、僕はその言葉を信じ、あの会場でダラスに最後の挨拶をすべきではないと思っていたのだが、結局はダラスとはその日が最後になってしまった。ベリンダのダラスに対する心遣いに僕は感慨深い思いでいた。いつの間にか、ダラスに対する虐待もなくなっている。キツイ言葉も次第に減ってきている。卒園式に来る前、銀行に寄った時も、ダラスは車の中でひとり待っていたのだが、予想以上に手続きに時間がかかり、ベリンダが「ダラスが車の中に一人でいるけど大丈夫かしら」と心配そうな顔をし、
「やっぱり連れて来るわ」
と言って駐車場に向かい、ダラスを車から連れて来たのだ。以前なら考えられないことだった。次第に情が湧いてきたのだろうか、と微笑ましく思った。

明日は僕のお別れパーティーで学校の友達が家にやって来る。その中に黒人もいるので、僕はあらかじめベリンダに相談していた。
「デニーのことが気に掛かるんだけど。あんなに黒人を毛嫌いしてるのに、家に連れてきたら・・・」
しかしベリンダは「心配ないわよ」と笑い飛ばした。今になって、そんなことよりも気掛かりなことがあった。ここ最近、デニーの機嫌が良くないのだ。何が気に食わないのか分からないが、今日もデニーが帰って来た時、ベリンダに「Where is a cuss?(やつはどこだ?)」と言っているような気がした。“cuss”とは「野郎」を意味する軽蔑語である。夜、外食に出掛けた帰りの車の中で、ベリンダは「明日は一晩中起きてパーティーするのよ!」と言った。ところがデニーは冷めた口調でキッパリ言った。
「そんなことはしない。明日は11時になったら、皆を家に帰す」
そして、明日は家を綺麗にしておけ、金曜日(出発)の朝は掃除してから行け、などと言う。今迄1週間に一度しか掃除せず、この間の日曜日掃除したばかりだし、そもそも明日はケネディー先生と買い物に行かなければならない。お土産をまだ買っていないのだ。
「それなら家じゃなく、他のところでパーティーしなくちゃ」
ベリンダが怒り口調で呟いた。

帰国はいよいよあさってに迫っていた。信じられない思いだったが、航空券も無事に届き、段々実感が湧いてくるような感じがした。寂しいのか嬉しいのかよく分からなかった。ベリンダのキツイ言葉やデニーの人をバカにしたような表情とオサラバするのは嬉しいと思ったが、それでも気持ちは複雑だった。

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