第66話
「アメリカの公立高校の現状」

目まぐるしく時間が過ぎて行く。ひとつひとつ、何となくこなしている感じで、これが終われば次、それが終わればその次・・・と、息つく暇もない日々を過ごしていた。帰国まであと3週間足らずだというのに、今もなお帰国の夢を見ていた。その日見た夢は、いつもと違い「英語が話せない」と愕然とするのではなく、英語はよく話せるのだが、帰国初日から親と喧嘩をしていた。(日本の)学校の食堂に行くと、ニューヨーク州から帰国したノブコが、現実では居ないはずの(ノブコの)妹と一緒にいて、双子のようにソックリだったので驚いた。その夢を見た夜、ノブコといつものように電話をしたら、初めてホストファミリーと外食をしたと言っていた。しょっちゅう外食をする我がホスト家とは正反対である・・・。

コーラスのスプリング・コンサートが近づいていたが、練習の時間が圧倒的に足りなかった。自分のピアノ練習もそうだが、全体のリハーサルもまるで不足していた。僕は放課後ケネディー先生宅に向かう車の中で「リハーサルが少なすぎる。全く以って余裕がないし、これでは成功しないのではないか?」と主張した。それでも「今何が出来る?」と聞き入れてくれず、険悪なムードになった。更に、今夜は先生の友達エドも来るということでウンザリしてしまった。それまでも3人で出掛けたり、僕とエドと2人で映画に観に行ったりはしていたが、最近のエドは感じが悪く、3人でいても僕の入る隙が全くないくらいに、エドは先生としか話さなかった。
「エドが来るのなら、僕は夕飯を一人で食べるから、バーガーキングのハンバーガーを買う」
と半ば怒り気味に言った。僕とケネディー先生は、親子ほどの年齢差があったが、教師と生徒というよりは、友達の感覚になっていた。僕一人で食べるハンバーガーを買ったのだが、結局は2人でレストランに入って夕飯を済ませた。その日、エドは来なかった。

5月16日、スプリング・コンサート本番は、予想通りあまりいい出来ではなかった。僕はピアノをよく間違え、全体の歌もイマイチだった。ちなみに、このコンサートではニューヨークで歌った歌も何曲か取り入れ、僕が伴奏する以外の曲では、僕も歌に参加した。クリスマス・コンサートの盛況ぶりや感激ぶりからすると、散々な出来で、お客さんもかなり少なかった。

更にこの夜は、最悪の事件が起きた。

ベリンダはどうしても観に来ることが出来ず、デニーが来てくれたのだが、帰りにハンバーガーのドライブスルーでお金を払う際、デニーが僕に1ドル貸してと言ってきた。そして財布に手を入れたところ、何枚か入っていたはずのお札が一枚も入っていないことに気付いた。冷や汗が出た。僕の異変にデニーが気付き、
「どうした?もしかして、お金がないの?」
「うん・・・盗まれたみたい」
学校の講堂でコンサートをしている間、皆、カバンを音楽室に置いていたのだ。そこで盗まれたに違いなかった。ベリンダは、僕が財布をカバンの中に入れてることを知っている誰かか、コンサートに来ていた親ではないかと言った。デニーはケネディー先生に電話をし、この盗難を報告した。

お金を盗まれたのは僕だけではなかった。先生は、
「コンサートの間、盗難事件が起きた。でも、誰が盗んだのか、詮索することはしない。このようなことが“良いことではない”ということは分かっているはずだ。今後、こんな事件が起こらないように皆で気を付けよう」
と、授業の最初に皆に言ったが、コンサートの2日後、盗まれた人たちは学校にいるセキュリティーの警備員に事情聴取を受けた。

横田先生は、アメリカの公立高校の危険さをよく話していた。学校にもよるけれど、荒れていてあまり安全ではないから、アメリカの高校に行くのならしっかりとした体制の良質な私立高校を勧めると。1年間の交換留学の場合は、公立高校と決まっているので、選択の余地はない。僕がいたキャス高校は、決して良質な学校ではなかった。現に、学校には常時セキュリティーの男が数人いて警備をしていた。ルイスヴィル高校にはそんな人たちは見当たらなかった。日本の高校と違い、アメリカの高校の授業は選択制なので1時間ごとに教室を移動するのだが、キャス高校では教室にカバンを持ち込んではいけない規則があった。カバンは常にロッカーに入れておかなければならない。授業が終わる度に、自分のロッカーに教科書を取りに行くのだ。僕は最初、おかしな規則だと思ったのだが、学校にピストルを持ち込む生徒がいるので、カバンにピストルを隠し持って歩かないよう、安全性ゆえの規則だった。トイレなど、個室のドアに鍵がなかったり(ドアがない場合もある)、中に誰かが入っているのが一目で分かるよう、ドアの下から足が見えるようになっている(これはアメリカのどこに行ってもそうだが)。ドラッグ(麻薬)対策である。

ある時、ランチルームで昼食を摂っていると、誰かが僕にケチャップを投げつけてきた。それはマクドナルドなどによくあるような、小袋に入った少量のケチャップで、封が開いていなかったので、僕の顔にケチャップがかかることはなかったのだが、いい気分はしない。でも、僕は大して気にもしなかった。アジア人軽視の眼差しは経験があったし、もうこれくらいのことで傷つくような心でもなかった。ところが、同じテーブルで食べていたケビンが、ケチャップが飛んできた方向を見て、
「我々の大事な交換留学生にそんなことするんじゃない!」
と言い、僕に投げつけたであろう容疑者にケチャップを投げ返した。運の悪いことに、ケビンが投げつけたケチャップの封は開いており、投げられた男の顔にベチャリとケチャップが付いてしまった。当然の如く、その男は「自分がやったんじゃない!」と怒り、ケビンと取っ組み合いの喧嘩になってしまった。それをランチルームにいた生徒たちのほとんどが煽り立て、大騒ぎになり、警備員数人が取り押さえてやっと治まった。その時僕は、唖然としながら、ただ見ているだけだった・・・。元々は、僕のことが原因だったのに・・・と心を痛めた。

また、アメリカは自由の国、と言うが一体「自由とは何なのだろう?」と思い始めてもいた。アメリカに来て「この国は自由だなぁ!」などと思ったことはなかったし、逆に日本の方が自由だと感じていた。一見、日本の学校は校則が沢山あって縛られているようにも見えるが、カバン持込禁止にしてもアメリカの方が実は規則だらけのような気がした。ある日の朝、学校の公衆電話で日本に国際電話をしていたら「電話は使っちゃいけない」と注意を受けた。二度も。理由を訊くと、「電話の列が出来てしまうから、朝は使ってはいけない」。また、学校には朝早く着くので、僕は音楽室に行こうとしたら、廊下で呼び止められた。
「ここから先は通っていけない」
時間が早すぎるというのだ。日本ではこのようなことは考えられない。それから、廊下では至るところでカップルたちがイチャついているものだが、厳しい先生などは「男女がそんなにくっついてはいけない。離れなさい」と注意している。校則を破ったり、授業中の先生に対する態度が悪かったりすると、一日中自習室で勉強させられたり、停学になったりする。

人間はある程度規則の中にいないと、本当の自由は得られないのではないか。自由とは自己責任である。意味を取り違えてはいけない。

後年、フランスで生活を始めた時、アパートの同居者がアメリカ人だった。
「君もアメリカは自由だ自由だと言うけど、一体何が自由なの?アメリカは何かにつけてがんじがらめで、日本やフランスの方がよっぽど自由に感じるけど」
僕は彼に質問をぶつけたが、ムッとした表情を見せただけで、まともな回答は得られなかった。

アメリカの公立高校において、確かに僕が「自由だなぁ」と感じたことと言えば、服装が自由だったことくらいである。

第67話へ



留学記目次