第52話
「春の風」

ミリンの家に一泊して帰って来た日の午後は、フィリップと遊ぶ約束をしていた。1時に電話がかかってきて、4時に迎えにやって来た。プロムに誰と行くのかと訊いたら、フィリップもまだ探しているのだと言う。以前、一緒に映画を観に行った派手なキャサリンは?と訊いたら、「ああ、もう彼女とは話さない」と言うので、あまりにも予想通りで笑ってしまった。

昨日はミリンの家に泊まった話をすると、フィリップはミリンの話し方を真似しながら、「ミリンってさ、よくカンニングしてるよ」
と言って笑った。2人はひとつ同じ授業を取っているらしく、互いのことは知っているけれども話したことはないようだった。僕とフィリップには学校に共通の友達がいないので、グループで遊ぶことがなかった。そう、よくよく考えると、僕は誰と遊ぶにしても共通の友達がいる相手がいなかったのだった。

モールに行き、デニーへの誕生日プレゼントを買った。ゴルフが好きなので、ゴルフのポロシャツを選んだ。(帰宅後、早速あげたのだが、デニーよりもベリンダの方が大騒ぎして喜んでいた)

僕は相も変わらず家に帰りたくない病だった。ゲームセンターに行った後、「ああ!ホスト宅には帰りたくないな」と漏らすと、「じゃあどうする?」と言い、なぜか車で駐車場をぐるぐる回った。
「今日何か出来たらいいのになぁ。今度、Six Flags(アミューズメント・パーク)とかアトランタのダウンタウンに行こうよ」
フィリップが言った。

帰国まであと残り3ヶ月足らずになっていた。冬が終わり、春の風が吹いていた。夜の帰り道のドライブで、助手席の窓を開けて夜の風を受けながら、感慨深い想いに耽っていた。この風の匂い・・・懐かしい匂いがした。3年前、留学を志した頃を思い起こさせた。念願叶ってアメリカに来ている。様々なことがあった。絶望的な気持ちでいた頃、長い時を過ごさなければならないと思っていたのに、もうあと3ヶ月しかない。そして今、やっと心から楽しいと感じられる自分がいた。

アメリカに来て、僕は本当に様々な人間模様を見聞きしていた。ビアンカはルーマニアで生まれたが、母親が亡くなり今は血の繋がらない両親と暮らしていると言った。
「将来は女優になりたい!」
ケビンの両親は離婚し、今一緒に住んでいる母親は本当の母親ではないと言った。

初めのうちこそショックを受けたり、ビックリしていたが、彼らに悲壮感が漂っていることはなかった。アメリカには複雑な家庭環境の元に暮らしている人たちがどれだけ多いことか!我がホストファミリーもそうである。ベリンダにも様々なドラマを聞かされた。

ドラマティックという言葉は、決してロマンティックな意味合いばかりでないことを知った。そして、僕が日本で生活して一番嫌っていた「平凡」というもの、それが本当は一番幸せなことなのではないかと気付き始めていた。いつも刺激が欲しいと、そればかり思っていた。アメリカに行けばその「平凡」というものから解放されると信じた。そしてそれは本当になった。毎日、一日一日が同じではなく、刺激的な日々だった。でも、それは僕が想像していた「刺激的な日々」とは全く違った。平凡ではなく、刺激のある日々というのは、実に大変で疲れるものだと知った。僕は何を望んでいたのだろう?平凡の何がいけないのだろう?刺激はたまにあるからいいもの。毎日が刺激の連続だったら、心身共に疲れ果ててしまう。

アメリカで英語を習得したい。それも叶えられた。だけど、そんなことよりももっと多くの、もっと大きな、そして生きることの意味、大切さに気付き始めたことの方が、よっぽど僕にとって意義のある収穫ではないか、そう思えてきた春だった。そして、帰国は刻一刻と迫っていた。

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