第51話
「ミリン」

ESLのクラスは僕とミリンの2人しか生徒がおらず、図書館の一角にあった小さな部屋で、先生と3人で和気あいあいと楽しくやっていた。最初、彼と会った時は「なんだコイツ?」と思った。お互い自己紹介をした後、
「先生が来るまで隠れてようよ!ホラ、こっちに来て。君も隠れるんだよ!」
高校生にもなってなんでそんなことが楽しいんだろう?と冷めた目で彼を見た。隠れるつもりなどない僕に、彼はインド訛りの英語で言った。
「You don't like fun things?(楽しいこと好きじゃないの?)」
冷たい視線を送っていた僕だが、ほどなくして僕たちは仲良くなった。活発でハキハキとしていて、裏表のない率直な性格のバートン先生と僕たち3人が作り出す雰囲気は最高で、僕はこの授業が大好きだった。他の授業で分からないことがあればそれを、特になければ先生が用意してきたプリントを使って英語の授業がなされた。(当時は2人しかいなかったESLも今では20人以上も生徒がいるらしい)

ミリン一家はインドから移住して来て、モーテル(街道沿いの簡易ホテル。日本でいうラブホテルではない)を経営していた。ジョージア州にはこうしたインド人が多くいた。

3月になってから、ミリンは「家に遊びに来てよ。ディナーを食べよう。良かったらホストファミリーも一緒に」と誘ってきた。帰宅して、デニーにそのことを話すと、乗り気でない顔をしながら「分からない。ベリンダに聞かなければ」と言う。そしてベリンダが帰って来て、ミリンに招待されたことを話すと、ベリンダが答える前に、デニーはすこぶる感じ悪く「行かないよ!」と言った。何もそんな言い方しなくても・・・。結局、デニーとベリンダには他の用事があるということで、僕ひとりで行くことになった。ミリンに電話をすると「OK。じゃあ、家に泊まっていけば?」と言った。

待ち合わせ場所までベリンダに送ってもらい、ミリンのお父さんと落ち合った。お父さんが運転する車の中で流れるのはインドの音楽。曲が変わっても変わっても、どれも同じに聴こえる・・・。
「インドの音楽だよ!どう?いい曲でしょう!」
中華料理をご馳走になってから、ミリンの家に行った。家の中に入るなり“インド”の香りがした(要は香辛料の匂いだった)。インド人の家に来たんだな、と思わせるような香りと雰囲気。
「コウ、インド映画観ない?」
ソファーに座って、僕は初めてインド映画を観た。
「インド映画は必ずこうした踊りのシーンがあるんだよ」
なんだかワケが分からない・・・字幕もなければ、吹き替えでもない。ところどころに大勢で踊るシーンが流れるその映画を不思議な思いで観ていた。時々映像が乱れる。
「あ、映像が乱れてるけど、これはテープが悪いんじゃないよ。元々こういう映像なんだ!」
逆の説明をされるかと思っていた・・・。

ミリン宅で経営しているホテルの部屋に僕は泊めてもらい、10時には就寝した。

翌朝、食卓に行くとお母さんが朝食を用意してくれていた。
「沢山食べてね」
つたない英語で僕に言いながら用意してくれていたのは、インドのお茶とホットケーキだった。いい匂い!美味しそう!ミリンはすこぶる美味しそうに食べている。早速僕も!ところが、ナイフとフォークで切った途端、唖然としてしまった。中が粉だらけだったのだ。隣のミリンにこっそり、
「これ、まだ焼かれてないよね?粉が・・・」
と囁いたのだが、ミリンは「何が?」という顔で言った。
「え、そう?美味しいよ」
まさかそこで「焼かれてないようなので、もっと焼いて下さい。そうでないと食べられません」などとは言えず、何とか我慢して食べたものの、だいぶ残してしまった。

ミリンには弟と妹がいた。インド訛りが強いミリンと比べて、弟と妹は何のアクセントもなくかなり流暢な英語を話した。
「アメリカに来た時は、弟も妹も英語は全く話せなかった。なのに今は、僕を追い越している!」
年齢が幼いだけあって言語習得が早いのだった。

ミリンのお父さんは、アメリカに来る前、日本に永住権の申請をしたのだが断られたと言っていた。ドキッとした。まず始めに日本に申請していたとは・・・。結局、アメリカに来たわけだが、今後、インド人の子供を交換留学生としてアメリカに呼びたいということで、ベリンダに訊いておいて欲しいと僕に頼んだ(その後、この話は進展がなかった)。

「また来てね」
家族に言われながら、昼前にミリンのお父さんが運転する車で送ってもらったのだが、いつも通っている道なのにも関わらず、間違った道を案内してしまったのか、なかなか家に辿り着かない。お父さんはその後用事があるというのに、僕の道案内に振り回され、毎日通っているハズなのに「なんで分からないの?」という不信な視線を投げてきた・・・。

インドの音楽、家の匂い、インド映画の踊り、映像の乱れ、粉のホットケーキ、自宅への迷い道。なかなか印象深い出来事であった。

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