第48話
「帰国の夢」

2月14日はバレンタイン・デー。アメリカではチョコレートを贈る習慣はなく、家族や友人にカードを渡すのが主流だ。ベリンダやバートン先生に「日本では女性が男性にチョコレートをあげる。告白の日もである」と話したら、「え〜!へんなの!」と驚いていた。僕もこの年はベリンダや友人たちからカードを受け取った。

この頃は、立て続けに日本に帰国する夢を見ていた。何日も連続して見ることも珍しくなく、場面や状況は違うのだが、一貫していたのが「1年もアメリカにいたのに英語が上達していない」ということだった。これは僕の潜在意識にずっとあったことなのだろう。ある日は、日本の高校の、留学経験ある先輩と話をしていて、「留学中、頭の中が英語にならなかった?」と訊いたら、「ならなかったよ」と言い、「Aさんはなったと言ってたよ」と返したら、「あの子は変だから」と先輩が言っていた夢。ある日は、帰国して学校に行き、英語が話せなくて唖然とする夢、ホストファミリーから追い出される夢。またある日は、両親がアメリカに迎えに来る夢で、学校に別れの挨拶をしに行き泣きそうになる自分がいた。

フィリップに誘われて毎週木曜日の朝に参加していたFCAミーティングには、大して気分が乗らないまま、何となく行っていた。ある朝、ミーティングの後、メンバーのひとりから声をかけられた。
「キリスト教を信じてる?」
なんでそんな質問するんだろうかと思いつつ黙っていたら、
「嫌いでしょう?」
と迫ってきた。僕は質問に答えぬまま、「なんで?」と訊き返した。彼は僕が「何?」と訊いたと聞き間違えたのか、「アメリカ文化が」と答えた。
「アメリカ文化をもっと知りたいなら、図書館に行け」
どういう意図でそんなことを言ってきたのか検討がつかなかった。でも、僕がキリスト教を信じているわけでもなければ、アメリカそのものにも興味を失くしてきていることに、きっと態度で分かられていたのではないだろうか。僕は文化的交流を目的とした交換留学生であるにも関わらず、今自分が住んでいる国を否定的にしか捉えられなくなっていきそうなことに、自分で気付かない振りをしていた。アメリカ文化?アメリカに文化なんてあるのか?心の中で反発していた。アメリカ文化をより良く知る為に図書館になど行くことはなかった。そして僕は、FCAミーティングに参加することも止めた。彼に言われた言葉が原因ではない。キリスト教を信じているわけでも、興味があるわけでもないのに、何となく参加していることに罪悪感があった、ただそれだけだった。僕を誘ったフィリップは何も言ってこなかった。

国語の授業に行くと、隣に座っていたマットに、いつ帰国するのか訊かれた。
「将来はアメリカに住むの?」
この類の質問もしょっちゅう受けていた。アメリカが好き?アメリカにこれからも住みたい?最初のうちこそ、好きかと訊かれれば「好き」、日本よりも好きか問われれば「どっちも同じくらい好き」、将来もアメリカに住むかと訊かれれば「分からない」と答えていたが、次第に本音を言うようになっていった。アメリカが好きかと訊かれれば「まあまあね」、日本よりも好きかと問われれば「そんなことはあり得ない。自分の国が一番好き」、将来もアメリカに住むかと訊かれれば「住まないでしょう」と答えた。世界ナンバーワンだと信じて疑わない自分の国アメリカが、全ての人にとって「素晴らしい国」であるとは限らない、と言ってやりたい気持ちにかられていた。その日、僕に訊いてきたマットは、僕が6月で帰国すること、将来アメリカに住まないという発言を、悲しそうに聞いていた。

前年の冬に日本の我が家に2ヶ月間ホームステイをした台湾人のチンリから、突然電話がかかってきた。彼は家族と共にオーストラリアに移住しており、英語には不自由しない。この時の電話では日本語で話したが、随分と上達していた。そしておのずと、僕から出る質問は「どのくらいで英語が流暢になった?」ということ。1年でペラペラになったと彼は言った。僕のアメリカ滞在も半年が過ぎ、残りあと4ヶ月。どこまで自分の英語力を伸ばせるのだろうか。

日本に帰りたいと言えば帰りたいが、でも帰りたくはなかった。もっともっと吸収しなければならないことがあるように思った。それなのに、帰国する夢をよく見る。帰国しないまでも、日本の友人や、同級生の夢もよく見た。かと思いきや、おかしな夢も見る。松田聖子さんとエルトン・ジョン(アトランタ在住)が家に来る夢である。デンバーに留学しているカナコと松田聖子さんが話をしている最中、カナコが泣き出したところで目を覚ますと、隣の部屋でベリンダが泣いていた。

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