第20話
「ダラスの苦悩」

やっと学校に行けたその日の夜、恐れていたことが起きた。ベリンダはダラスを恐ろしいほどに叱り、ダラスは大泣きしていたのだ。ジュリアナが言っていた通り、ベルトで叩く音が聞こえた。これは今後も続くことになるが、いつもデニーがいない時に起こるのだった。僕とベリンダが会話をしていて、ベリンダが僕に質問をした時にダラスが口を挟むと、「あなたとは話してない」と冷たく言い放つ。この家には愛はあるのだろうかと思った。ベリンダは自分の娘トリーのことは甘やかすが、ダラスには必要以上に冷たい。とんでもない家庭に来てしまったような気がした。

その翌日、ベリンダが学校に行った後、ダラスが僕に言った。
「昨日、ベリンダにベルトで叩かれた」
ダラスはベリンダを「ママ」とは呼ばずに名前で呼ぶ。トリーも同じく、デニーのことを「パパ」とは呼ばずに名前で呼ぶ。
「トリーは嘘をつくんだ。それでトラブルになる・・・」
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。でもベリンダには絶対言わないで!」
「言わないよ」
「ベリンダはハッピーじゃないんだ。僕に死んでほしいと思ってる」
「ダラス、君は幸せ?」
「No... 本当のママのところに行きたい。ママが恋しい。ママのところなら安全だし・・・。こんなバカげた家なんか・・・」
「ママは恋しいのは分かるよ。だって君はまだ6歳だもんね」
「2週間に一度は会えるんだ。コウは悲しい?」
「ちょっとね」
「家族が恋しい?」
「ちょっとね」
すると電話が鳴った。ウェンディーという女性からだった。僕が「ウェンディー?」と聞き返した途端、ダラスがハッと僕の方を向き、
「僕知ってる、ママ!」
と言って電話に飛びついた。一番母親の愛情が必要な時期に引き離されて、何とも可哀相に思った。でも、実はベリンダの息子トレイも父親と暮らしているので、母親とは引き離されているのだ。そして実の妹とも。トリーはわがままな子供だった。ベリンダが帰って来てから、2人の会話が耳に飛び込んできた。トリーが「ダラスがやったの!」とベリンダに言っている。ベリンダは「たぶんコウよ」と返しているが、トリーはまた「ダラスがやった」と繰り返していた。何のことかは分からなかった。

電話があったかとベリンダに訊かれ、ウェンディーからあったと答えた。そしてダラスに代わったことを告げた途端、怒り出した。
「ウェンディーはダラスの母親。でもね、彼女から電話がかかってきても、決してダラスには代わらないで!分かった?そういうルールになってるんだから」
実はベリンダもヒステリックな人であることは、段々分かりかけてきていた。僕は帰国するまでそのヒステリックに悩まされるが、でもベリンダのことを嫌いにはならなかった。今思うと、29歳だったベリンダは彼女自身、いろんな問題を抱えていたのではないかと思う。陰湿だったミルドレッドとは違い、ベリンダは思ったことは全て口にした。僕に対する不平不満も、良いと思うことも全て。逆にデニーは日を追うごとに、僕と話さなくなった。何を考えているのか、日に日に分からなくなっていった。

ベリンダはミルドレッドのように、お金に関してうるさいところはなかった。それどころか、服を買った時にお金を立て替えてもらい、そのお金27ドル38セントをきっちり返したら、
「そういうパーフェクトなのはやめてちょうだい!ここはアメリカ。アメリカンになりなさい!」
と言ったくらいだ。「アメリカンになれ」という発言には反発を覚えていたが。

この週末、ダラスは母親の元へ、トリーは父親の元へと行った。
「二週間に一度は静かな週末よ。大人の時間を過ごすの!」
ベリンダが僕に言った。3人で中華料理を食べた後、映画を観に行った。「Time Cop(タイムコップ)」という映画だった。極々普通の、ありふれたアメリカの平和な週末。翌日土曜日は、10時半に起き、銀行に行ってお金を下ろし、ベリンダと買い物をして4時半に帰宅。そして6時半頃にモールへと出発。
「腹減った?」
デニーに訊かれた。
「イエス」
「1時間前も減っていたか?」
「イエス」
「だったらそう言いなさい。腹が減ったなら減ったと。こっちは待っていたんだ」
1時間前の5時半に僕が「お腹が空いた」と言ったところで、「だったら今日はちょっと早いけど夕飯にしよう」となるなんて考えられなかった。デニーは時に、こういう不可解なことを言う。そしてまた何か僕に言ったが、うまく聞き取れずに聞き返したら、「Shit...(クソ)」と吐き捨てた。デニーはまるでミルドレッドのように、聞き返されることを嫌がる。
「何食べたい?」
デニーに訊かれ、何でもいいと答えると、
「“何でもいい”はダメ。何が食べたいか言いなさい」
僕は特に思い浮かばなかった。でも何を食べたいのか言うまで、デニーの質問は続きそうだった。
「スパゲティーを」
そう言うと、イヤな顔をされた。他は?と訊かれた。そして僕は答えられなくなった。威圧感に耐えられなかったのだ。でもデニーの攻撃は続いた。
「何を食べたいんだ?答えなさい」
自分でも何故なのか分からないほど何も言えなくなっていた。あまりにも僕が無言になっていたので、結局、デニーとベリンダお気に入りの、キャットフィッシュの店に行った。Catfishなるものが何なのか分からなかったが、メニューにあったチキンを食べたいと思い、名物キャットフィッシュを食べずして鶏肉を食べた。美味しかった。

家に帰り、辞書を引いて唖然。キャットフィッシュとは「なまず」のことだった。なまずを食べるなんて・・・?!?!

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