第15話 「笑いのある世界」 |
ロレインの車でルイスヴィルから約2時間程離れたところにあるダブリンに向かっていた。次のホストファミリーが見つかるまで、僕はエリアレップであるロレインのお宅にお世話になることになったのだ。車の中で、僕は複雑な気持ちでいた。一体、ホストは何をロレインに言ったのだろう。ロレインが僕との話し合いの時間も持たず、即効で僕を連れ出したくらいだから、相当僕を悪く言ったに違いない。 「あなたは自分の分のお金を全く払わなかった、って言ってたわ。ランチ代、文房具、切手、洋服など全部ミルドレッドが払ったって」 唖然とした。払わないどころか、余計なお金まで払わされたというのに・・・。ミルドレッドに「支払って貰った」ことなど一度もなかった。 「それからこんなことも言ってたわ。洗濯用のパウダーは使い過ぎ、ご飯は食べ過ぎ。トイレは汚す、庭掃除の約束は破る」 聞いて呆れた。僕はロレインに全てを、真実を話した。 「ホストファミリー側と生徒側の言い分は、今回のようにいつも食い違うの。私は生徒を信じたい。でも次の家でまた同じトラブルがあったら、国に帰すわよ!」 ロレインは僕の言い分を受け入れてくれた。 「ミルドレッドはともかくとして、オジーはあなたのことが本当に好きで、あなたが来た時もエキサイトしてたの」 オジーのことを思うと切なかった。荷造りをしている時も、「ごめんよ」と言いに来てくれたのだ。僕は今でもあの時の顔と声を覚えている。 「オジーとミルドレッドはもう若くないし、若い人のことは忘れてしまってるから、今回のようなことが起きたのかも知れないね。もう前のホストファミリーのことは忘れること!私が次はもっといい家を探すから!!!」 心強かった。 ロレインは30代後半の女性で、彼氏と一緒に暮らしていた。共に離婚歴があり、それぞれの連れ子も一緒だった。ロレインには中学生の息子と小学生の娘がいて、彼氏の方には僕よりも1つ年下の息子がいた。 「でももうしばらくしたら、子供たちを連れて家を出るの。あ、安心してね、あなたのホストが決まるまではちゃんといるから。それと、今、ブラジルから来ている女の子も家にいる。あなたと同じように、つい2〜3日前にホストファミリーの家を出てきたのよ」 家に着くと、ロレインを含め総勢6人と犬(親1匹と子犬がわんさか)が僕を迎えてくれた。家は狭かったが賑やかだった。ブラジル人留学生ジュリアナと、ロレインの彼氏の息子ジョナサンとは年が近いこともあり、すぐに話が盛り上がった。 「ジュリアナ、ここに来るまではどこにいたの?」 「アトランタよ」 「えー!アトランタ?いいなぁ・・・都会だね。なんでホストチェンジしたの?」 「ホストファミリーのことが好きじゃなかったから!あなたは?」 「同じ!」 2人で笑った。そうだ・・・笑ったのっていつぶりだろう?随分と笑っていなかったような気がする。ジュリアナはホストファミリー宅でどんなことがあったのか話してくれた。 私のホストファミリーは若い再婚同士の夫婦で、それぞれに連れ子がいたの。ホストマザーは、旦那の連れ子である小学生の男の子のことが嫌いで、いつも虐待してた。ベルトでその子を叩くのよ!その子は泣いてた。夜になると、夫婦の営みの声が・・・ホストマザーの声が聞こえてくるからイヤだった。彼女は私のことも嫌いだったと思う。学校から帰ってくると家の鍵がかかっていて、中に入れなかったこともあるし・・・。毎日そんな家族と暮らすのは苦痛だった。今はあの家から出られて、本当に嬉しい。 辛いのは自分だけじゃない、いろんなことがあるんだなと思った。僕もどんなことがあったのかかいつまんで話し、慰め合ったが、暗い話はすぐに終えて、ジュリアナやジョナサンと楽しい話で盛り上がった。こんな世界があったんだ!こんなに明るい世界が!笑って話せる時間。同年代の仲間と楽しく時間を共用出来ることがとてつもなく嬉しかった。こんな当たり前のことを僕はすっかり忘れていたし、失っていたのだ。僕の留学生活はこれから始まる、やっと明るい道が開けると思い、その夜は心の底から幸せな気持ちで眠りについた。 翌日、ジュリアナは仮のホスト宅に引っ越すことになり、僕もついて行った。広くて豪華な家だった。40代くらいの女性が出てきて、挨拶をした。名前をデニスと言った。僕を見るなり、突然話し出した。 「あなたの名前はコウ・タカハシ、年齢は16歳、趣味はピアノを弾くこと・・・ね?」 驚いていたら、デニスはロレインと同じくPIEのエリアレップだったのだ。それで僕の資料も持っていたのだ。明るくて感じのいい女性だった。こんな綺麗な家で、こんなに楽しそうな人と暫く暮らせるジュリアナが羨ましいと思った。僕たちは家で少しのんびりしてから、お昼を食べに外に出た。そして話題はやはりホストチェンジのことに及んだ。ロレインと僕が、どんなことがあったのか一通り説明すると、 「それはいいホストファミリーじゃないわね。第一、こんなに若い少年に対して、“ご飯食べ過ぎ”とは何よ!おかしいわね」 とデニスは言った。 お昼を食べた後は、ジュリアナが通うことになる学校に行った。ブラジル人らしく、陽気で爽快な彼女は、担当が席を外してから僕に言った。 「不安だわ・・・これから」 学校生活に対して不安を抱いているとは意外な気がした。 ジュリアナと別れ、僕とロレインは家に戻った。平和な一日。僕はもうルイスヴィル高校には行かないということを、昨日ロレインに言われていた。住む地域や学校というのは、当然の如くホストファミリーがいてこそである。ロレインはもうルイスヴィルで探すつもりはないようだった。 「オジーとハナーはPIEの募集に応募してきたのよ。私が家まで行って面接したのだけど、一度会っただけではどんな家庭かなんて分からないものね」 と言いつつ、ルイスヴィルは貧しい町だと言った。 ジョナサンはしきりにダブリンがどれだけいい町かということを僕に話した。 「学校は全部で1,200人、交換留学生は20人くらいいて、日本人もいるよ。日本語の授業もあるんだよ。君も僕と一緒にダブリン高校に通うことになればいいな」 僕もそう思った。学校に行く前から友達がいる、というのは何とも心強いし、小規模だったルイスヴィル高校に比べてダブリン高校は大きそうだ。是非行きたいと思った。 「僕は君に英語を教える。だから君は僕に数学と日本語を教えて」 ジョナサンが言った。僕はロレインと、さっき車で話していたことを思い出した。 「きっといいホストファミリーが見つかるから大丈夫よ。ルイスヴィルはもう忘れなさいね」 「僕、ダブリン高校に行きたいです。だから、ダブリンでホストファミリーを探して下さい」 「ダブリンにいたいの?」 ロレインは少し意外そうな顔をした。なんでこんな町に?とでも言いたそうな。ルイスヴィルは9割が黒人で、ダブリンは7割が黒人の町だが、ルイスヴィルとは比べ物にならないほど綺麗で明るい町に見えた。貧しく排他的には感じられなかった。 「ダブリン高校は7割が黒人だけど、それでもいいの?」 「そういうことは気にしません」 「分かったわ。ダブリンでいいホストファミリーを見つけるように努力する!」 その夜、僕とジョナサンは遅くまで話していた。ルイスヴィル高校に未練が残るような気がしていたけれど、もうそんな思いはなかった。前だけを見ている。僕はダブリンに住み、ダブリン高校に行くのだ。明日はジョナサンが学校に連れて行ってくれると言う。どんな学校なのか楽しみだ。 しかし翌朝、起きるとジョナサンが突然僕に言った。 「コウ、君は僕の学校には行かないことになったよ」 どういう意味なのだろう?僕とジョナサンは今日、学校に一緒に行くと昨日話したばかりではないか。 「今日、行かないってこと?」 「いいや、ずっとだよ。君は他の学校に行く。皆、引っ越すから」 なんてことだろう!ロレインは僕のホストファミリー探しをしている間は引っ越さないって言ってたじゃないか! 「皆、引っ越すの?」 「僕とパパはここにいるよ」 「じゃあ、僕のホストファミリーは決まったってこと?」 「いや、まだ決まってない。君は他のエリアレップのところに預けられる」 とてもショックだった。まだ昨日の今日なのだ。それなのに・・・。いつになったら幸せが訪れるのだろう?心は沈んでいた。 第16話へ |