愛、ゆえに

共通の人を愛するKさんと会うと、いつの間にやら必ず、我らの星Mさんへの不満大会になっている。「Kさんといると、いつも悪口ばかりですね」と言いながら笑う。実際「悪口」ではないのだが、端から見たら、「おやまぁ、いつも好き好き好き好きと言いながら、そんなことを・・・」と目を細められるかも知れない。でも、それは猛烈な“愛”ゆえなのだ。現に、他の人がMさんの悪口を言っているのを聞こうもんなら、我らはたちまち気分を害し、Mさんの擁護に出る。“気分を害する”というより、“腹が立って仕方ない”と言った方がより適切。

かのマザー・テレサは「愛の反対語は憎悪ではない、無関心だ」という言葉を残したが、実に絶妙である。憎たらしい他人のことを「嫌い!嫌い!嫌い!!!吐き気がするほど嫌い!憎い!」と心底思っていても、結局、その人の動向を見やり、言動に耳を傾けているわけだから、ゆえに「関心がある」ということになる。何となく納得のいかないような話に一見聞こえるが、愛して愛して愛した人のことが、ある日突然「憎悪」に切り替わり、いつの間にか「無関心」になる、という誰にでも起こり得る感情を思えば、随分と納得のいく言葉である。いやはや、激しい愛はコワイ。

Kさんと僕が愛するMさんのことを嫌いになる日など永遠に来ないと思うが、「愛ゆえの不満」が出るほどに幸せであるとも言える。人前に出て自分の歌を演ずる商売を生業とする僕が、万人に「いい歌だね」などと言われることなど100%有り得ない。方々から実に様々な批評を受けるが、マイナス意見さえ聞こえてこなくなった日こそ、ある意味オシマイである。批評の対象となっているうちが華である。


随想

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