イタリアとフランスの狭間で

イタリア暮らしにまつわるエッセイによって、心はすっかりイタリアに飛んでいる僕。実際体験すればうんざりするような出来事も、こうして明るいタッチで本に書かれると、「そんなこともあるでしょう」「お、こんなこともあるでしょう」「おや、ま、それもアリでしょう、イタリアだもん」と他人事になり、それすら楽しく感じてしまう。本人曰く、「怒り死にしそうになることもままある」らしいが、それはそれで僕も経験があるので理解はできるのだ。

実際イタリアには旅行で行ったことがあるが、エッセイを読みながら、何かと思い出すのはイタリアよりも、友人と行った南仏のマントン。イタリアとフランスの国境の町で、かのジャン・コクトー美術館もある。ちなみに、マントンとはフランス語で「顎」という意味で、実際に地図を見るとフランスの顎の部分にあたる。僕はフランス中東部ブザンソン、友人は中西部アンジェに留学していたこともあり、南仏となると趣は全く異なってまるで違う世界にウキウキしていた。元々、僕は南仏が大好き。なぜイタリアの話を読みながらマントンを思い出すかというと、この町の住民が僕たちの知るフランス人とはまるで違っていたからである。道端で喋り捲っているおじさんやおばさんに驚きつつも、バスに乗ればウルサイほどの話し声。これは我々の知るフランスでは有り得ない陽気さだ。とにかく喋り捲っている。近くにいたおばあさんに、写真を撮って欲しいと頼めば、すこぶる愛想良く応じてくれて、撮影が終わって「ありがとうございました」と礼を言うと、「ちょいと、こっちの角度からも撮るから!」「あ、こっちもいいわ。もう1枚ね!」と頼んでもいないのにアングルの提案までしてくる。最後の最後には、「もういいの?」と訊いてきた。道が分からず、通りすがりのおばあさんに訊ね、「ありがとうございました」と言って目的地に行こうとすると、「もっとあなた達とお話がしたい」という顔をしている。

そうだ、ここはイタリアとの国境の町。住民性がイタリア寄りなのだろう!フランスでは見たこともないほどの陽気な町だった。元々、フランスは暗い、というイメージはないのだが、マントンはとにかく何もかもが明るかった。

僕たちがイタリアとの国境を越えて、イタリア側の警察官にイタリア語を教えてもらったり、陸続きの国境を知らないがゆえの興奮を味わっている最中、僕たちの共通の友人が、これまた中西部のポワチエからニースへと向かっていた。僕たちとニースで合流し、旅をすることになっていたのだ。フランスとイタリアの狭間でワイワイやっている頃、ポワチエに留学中の友人は、僕たちが泊まっているニースのユースホステルに電話をかけたのだそうな。僕に何か用事があったらしい。
「そちらにお泊りの“コー・タカハシ”をお願いします」
「ちょっと待って下さいね」
受付の兄ちゃんが僕を探しに行く。勿論、僕はイタリアとフランスの狭間にいたので、ユースホステルにはいない。
「コー・タカハシは今、いないですね」
と、受付の兄ちゃんが電話口で待っていた僕の友人に告げた。すると、その友人、何を思ったのか、日本語で堂々と叫んだ。
「コウちゃん!!!南仏にいるからって、南仏なまりのフランス語でわざとらしく喋らないでよ!!!」
勿論、電話に出たのは僕ではないので、受付の兄ちゃんは唖然。
「・・・・・・。」
沈黙の刻が流れる。友人、やっと気付く。冷や汗をダラダラ流しながら詫びを入れ、電話を切ったそうな。

僕はその話を聞き、笑いに笑い、この話を何百回繰り返したか分からないほどだが(実は僕の日記には、この友人のネタを多く使わせてもらっている)、土地柄、スペインやイタリア出身の人も多く、それ故に訛りもあるのだ。まぁ、僕はよくイタズラをしてしまうので、今回も「またやらかしたな!」と思ったのであろう。

話は逸れるが、僕たちがイタリアとフランスの狭間からニースに戻り、ポワチエという田舎村からはるばる電車で駆けつけた友人を迎えに行くと、長旅の疲れにフラフラになりながら電車から降りてくる姿を見て、僕たちは大笑いしてしまった。この電車に友人が乗っていると思うだけで笑ってしまうのだから、なんて失礼極まりないと思うのではあるが、あらゆるところで笑いを提供してくれて、ネタに困らない友人には感謝感謝である。友人は「笑いすぎ!」と怒るが、僕の笑いは感謝の記しなのだ。お忘れなきよう。


異国にて…

エッセイ目次