おちょくられるタカハシコウの記憶

フランスの留学先の学校に、ウボンと言うタイ人の留学生がいた。30代前半の痩せた男で、今にも風によろけて倒れそうな人だった。本国ではフランス語教師をしている言い、本人曰く英語も教えていたとか。

彼と初めて会ったのは、確か日本人のYさん宅だったように思う。僕はロータリー財団の奨学生として留学していたのだが、日本でフランス語教師をしていたYさんも同じくロータリー財団から奨学金を貰っていて、その繋がりで僕達は話すようになっていた。留学地ブザンソンに行く前、ストラスブールでの1ヶ月間の語学研修でも一緒だったので、既に顔馴染で、ブザンソンに着いて少し経ってから、夕食に招かれたのだ。行くと、Yさんのクラスメイトが何人かいた。僕は「フランス語とフランス文明」のコース、Yさんはフランス語教師の為のコースにいた。なので、その日集まった人達は、僕を除いて皆、フランス語教師だった。その中に、ウボンがいた。性格からしてそうなのだろうが、妙にゆっくり話す人で、だがしかし文法や語彙は教師らしくしっかりしていた。のんびりした性格だが、言うことは的を得ており、それでいて変なユーモアがあって、彼と話すと僕は何かと笑っていた。

学校や道で会うと、
「サ・・リュ・・ウ・・・、コウ・・・・!サ・・・ヴァ・・?(やあコウ!元気?)」
と、よれよれ老人のような声を出して挨拶をしてくる。そんな彼は、僕をおちょくるのが好きらしく、何かとちょっかいを出して、からかってくる。わざと日本の悪口を言ってみたり、バカにしてみたりする。それに対して僕が反論したり、またウボンを攻撃する姿がおもしろかったみたいだ。たまに面倒臭くなり、
「ウボンがこんな日本の悪口言ってるよ、ってYにも言ってやろ」
と言うと、笑いながら、そして焦らずゆっくりと、
「ああ・・・それは困るなぁ。それだけはやめて」
と返してくるのだった。

僕はロータリーが用意してくれた広いアパートに住んでいて、同じくロータリー奨学生のアメリカ人ポールとシェア(同居)していた(というより、させられていた)。ポールもYさんやウボンと同じ、フランス語教師の為のコースにいて、ウボンとは大の仲良しだった。なので、たまにウボンが我がアパートに来ることがあった。とは言え、僕とポールの仲は決して良いとは言えないものだったので(犬猿の仲、という声もあった)、3人で会話する、なんてことはなかった。たまにウボンがポール宛に電話をしてきて、ポールが不在の時に僕が受けると、
「なに、やって、んの?」
といつものスローな口調で聞いてくる。次の瞬間から罵り合いが始まるのだが、ウボンがとある場所の電話番号を知っているかと聞くので、教えてあげた。電話番号を読み上げると、いきなり、
「ちょっと待って待って!!!・・・もう、そんなに早く話さないで・・・僕は、君のようにフランス語が得意ってわけじゃないんだから・・・」
とおちょくってくる。フランス語教師の言う言葉とは思えない。

ある日、僕が夕飯の支度をしていて、米をせっせかせっせか研いでいると(フランスにも日本米に似た丸くて粘りのある米が売っている)、ポールとウボンがやって来た。目ざとく僕を見つけたウボンは僕に問う。
「なに、やって、んの?」
「見て分かんないの?米研いでるんだよ」
「ふ〜ん・・・それにしても、すごいねぇ」
「何が?」
「なんでそんなに米を洗ってるの?」
「は?普通、米を炊く前には米を洗うでしょうに。お宅の国では洗わないの?」
「え、洗うけどぉ・・・君のようにそんなに激しくは洗わないよ。なんだか、君の米の研ぎ方って、洗濯してるみたいなんだもん!ゴシゴシ、ゴシゴシって。日本人って皆そうなの?」
そう言って、ウボンは笑っている。面倒になってくる僕は、無視作戦に入る。ポールが僕達の会話に入ってくることはない。僕が米を研いでいる姿をじっと見つめながら、ウボンは更に話し掛けてくる。
「今日のおかずは何?」
「オムレツ」
「またぁ〜???!!!いつもオムレツ作ってない?昨日も今日も明日もオムレツ?」
「うっるさいなぁ〜!たまたまウボンが来る時に限ってオムレツなんだよ!ほら、邪魔だからあっち行って!シッシッ!!」
そうして、ウボンはヨレヨレ姿でポールの部屋に行く。

とまぁ、僕の記憶の中では、ウボンにちょっかい出されることしきり、という図なのだが、どうやらウボンの記憶は逆のようであった。ウボンと何人かの東南アジア人とフランス人、それから何人かの日本人がピクニックに行ったのだそうだ。僕は行かなかったのだが、その中に僕の日本人の友人が含まれていた。数日後、その友人が僕に報告してきた。
「ウボンが言ってたよ。Yはすっごくいい人で大好きなんだけど、同じ日本人でもコウはすっごくいじわるで、コワイよねぇ・・・って」
んまぁ・・・ちなみにその当時、僕は21歳、ウボンは30代であった。

東京に住むフランス時代の日本人の友人とは、今だにウボンのことは語り草である。そして友人は相変わらず、「コウはいじわるで」と言ったウボンの言葉を真似する。僕達がウボンのことを話すと、今もなお笑いが起こるのだが、先日、その友人宅でフランス時代の写真を見ていたら、突然ウボンが登場し大爆笑してしまった。僕は彼の写真を1枚も持っていなかったので、数年振りにお顔を拝見したら、可笑しくてたまらなかったのだ。別に「変な顔をしてる写真」ではないのに、何年経っても話題に上るウボンのことを思い出すと、どうしても笑ってしまうのだ。

そして今日、トイレに入り、用を足している最中(ちなみに大きい方)、ふと、友人宅でウボンの写真を見た衝撃が蘇り、トイレの中でひとり笑ってしまった。そのことを友人にメールで報告したら、ウボンの写真なんかよりも“トイレで思い出し笑いしてる”僕の方がよっぽどおかしい、という返事が着た。思い出し笑いは、僕の得意技なのだ。

どこかの公衆便所で、すすり笑いが聞こえてきたら、「タカハシコウが思い出し笑いしてる」と思って頂いて結構です。


異国にて…

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