1999、夏、イタリア珍道中シリーズ
Vol. 6 「真っ青」

フィレンツェ最後の夜は睡眠たったの4時間。電車でナポリへと南下する。その道中、4時間グースカ寝る。「ナポリを見てから死ね」との言葉に従いやって来た、というわけではない。3人共、ナポリに興味があったのではなく、近くの島から船で行く「青の洞窟」に興味津々だったのだ。かつては、アンダルシア、コートダジュール、カリフォルニア、フィンランドなど、歌の中に出てくる街や国に猛烈に憧れた僕も、ザ・ピーナッツの歌った「月影のナポリ」には影響されることはなかったようだ。・・・いわば、3人共、ナポリには何の思い入れもなかったのだ。

そしてやって来た港町ナポリ。汚く、貧しく、せわしなく、物騒でうるさい。しっとり文化的なフィレンツェとは大違いだ。ああ・・・ここが、かのナポリねぇ・・・。いかにも南の街、ちょっと恐いな、という印象だ。ホテルに着くと、パスポートを預けさせられた。
「パスポート預けて大丈夫だろうか?盗まれないだろうか?」
などと、変にナポリに警戒している。

青の洞窟は、天気が良くないと見ることが出来ない。悪天候だと船すら出ないからだ。こればかりは運まかせ。幸い、今日は天気が抜群にいい。行くなら、明日に延ばさず今日行っておいた方が良さそうだ。ホテルの人もその方がいい、と言っている。

というわけで、早速カプリ島へ出発。意気揚々と歩いていると、背中に微かな何かを感じた。フッと後ろを見ると、僕のリュックサックを開けている最中だった「スリ」と目がバッチリ合った!!そのスリは、僕と目があった瞬間、慌てて踵を返し、何事も無かったかのように知らんぷりして、その辺の店を見回していた。バカでノロマでマヌケな泥棒さんだ。幸い、リュックサックを開けている最中に僕が見つけたし、しかもカバンの中には貴重品は入っていないので、被害には遭わなかったが、太陽がサンサンと降り注ぐ真っ昼間、人通りが全くないというわけでもなしに、堂々と人のカバンを開け、そして周囲の人達はそれを見て見ぬフリしてるんだか、気づかないんだか、一体どんな街なんだ、ここは!

車も随分飛ばしている。フランスもスピード狂の国だが、イタリアは更にその上を行くようだ。従って、車が頻繁に通り、それでいて信号のない道路はなかなか渡れない。僕達3人、オロオロしていると、イタリア人の太ったオッサンが、「ついて来な!」と言って道路を一緒に渡ってくれた。信号無視が特技のフランス人を見習ってその技を習得し、パリに行くと田舎から出てきたにも関わらず、地元のパリ市民よりもウワテな「信号無視者」として名を馳せていた(?)僕なのに、イタリアでは一歩も動けず、泣く思いであった。(余談:物凄い交通量で有名なパリの凱旋門で、ヨレヨレながらもスイスイと道路を渡っているヨボヨボのおばあさんを見つけた時、僕達はあのおばあさんに憧れ、師匠として仰いだ)

青の洞窟まで行くには、まずナポリから船でカプリ島まで行かなくてはならない。島に着くと、そこからまた別の船に乗り換える。そして青の洞窟付近に来ると、今度は小型ボートに乗り換える。ちなみに、乗り換えごとに料金が発生しているのだ。更には、青の洞窟に入る前、なんと「入場料」まで取られる。そんなこんなで・・・・・盗難に遭いそうにもなり、信号も渡れず泣き、貧乏なのに船を乗り換えるごとにわんさかお金が飛び、やっとの思いで洞窟まで来た。ホントに、「やっと」だ。さぁ!入るぞ!という時、ボートを漕ぐイタリア人のオッサンが、日本語で一言。
「ねゴろんでェ〜!」
洞窟の背が低く、入る際に頭がぶつかるので体を倒しなさい、ということなのだが、いささか僕の方言「庄内弁」とよく似ていたのでびっくりした。

洞窟の中に入ると、正にそこは「神秘の青」の世界。水深20メートル。外から入る光が洞窟の海底に反射することにより、何とも言えない幻想的な青の世界になる。今でこそ世界的に有名な景勝地であるが、その昔は、悪魔が棲む場所として恐れられていたのだとか。・・・時を経て、こんなに立派な金取り産業になりました。

感激しているのも束の間、ほんのわずかな空間の洞窟を、オッサンのカンツォーネ付きで2周しただけで終わりである。ムムム・・・一瞬だった「夢の世界」の余韻に浸る間もなく、オッサンはいとも簡単に僕達を現実に引き戻した。神秘の世界から現実の世界に戻っただけでなく、洞窟から出ていきなり、
「ひとりチップ1万リラ(約800円)!」
と言うのだ。何から何まで商業主義。しかも普通、チップの額まで決めるか?

とは言え、やはりあの神秘的な空間は、あの場所ならではのものだ。写真で見ても、確かに綺麗だとは思うが、実際にその場で見るのとはまるで違う。あの「青さ」は目に焼き付いて、忘れることができない。

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異国にて…

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