名犬シュベッツ、ひと春の戯れ・・・そして、再会
前編

シュベッツは僕が生まれて初めて出会ったシェパード犬である。

大学1年の春、僕は教授の「フランスは早く見ておいた方がいい。その方が勉強意欲が湧く。だから、語学研修に行くのなら今のうちに」という勧めを忠実に守り、春休みを利用して1ヶ月間フランスに赴くことにしたのだ。僕はなぜか中学時代からコートダジュールに憧れを持っていた。「コートダジュールで逢いましょう」という歌世界に憧れたのだが(ちなみに某アイドルの歌でござんす)、コートダジュールとは一体何?!という疑問から、世界大百科事典を引く。「息を呑むほど美しい紺碧の海岸」という、人の評判。何となく、お忍びリゾート地みたいなイメージが当時はあった。だから、フランスでまず最初に行きたいのは南仏だった。しかも、コートダジュール。そこで、僕が選んだのは映画祭で有名なカンヌだった。

米留学で散々「ホームステイはまっぴらごめん」と思いながらも、カンヌ滞在ではホームステイを選んだ。純粋にフランス人の生活に入ってみたかったのである。家族構成は警察官のお父さん、主婦のお母さん、小さい男の子3人、そして犬であった。家は高台にあり、夜景は抜群だった。3階建ての家で、3階は常に留学生がいた。僕の他に、日本人、アルゼンチン人の学生がステイしており、途中からはドイツ人もやってきた。こういう受け入れはビジネスなのだ。だから、ステイ先の家族と一緒に過ごしたり、食事したり、ということはなかった。逆にその分、自由だったので気楽でもあった。

カンヌに到着し、ステイ先のマダムに車で家に向かう途中、
「家には大きな大きな、お〜きな犬がいるけど、あなた犬は大丈夫?」
と聞かれた。勿論!大丈夫です!!犬、大好きです!!!とはつらつに答えたものの、実際、家に到着すると、警察犬のような犬が・・・茶色と黒の毛をした、よくテレビで見かける警察犬が・・・空港で麻薬チェックをしている警察犬が・・・ワンワン吠える。

怯えてしまった。

はっきり言って恐かった。シェパードとは戯れたことがなかったのだ。今思えば「歓迎」の意をもって吠えていたのかも知れないが、その時は「見知らぬヤツ」に対して吠えているのだと思った。

翌朝。学校に行こうと玄関のドアを開けると、広い庭の向こう側に寝そべっていたシュベッツがふとこちらを見上げた。はぁッ・・・気づかれた・・・と思った瞬間、全速力でこちらに向かって走って来た。ヒィィィィィ〜ッ!!!!コワイッ!・・・バタッ!!ドアを閉めてしまった。ちょっと可愛そうだな、とは思ったのだが、全速力で走ってくるその姿にはかなりの迫力があった。襲いかかってきそうな勢いがあったのだ。

それから数日、僕はシュベッツに歩み寄ることはなかった。家の中にいて、僕がシュベッツに嫌な思いをさせられたことはない。誰かが食事をしている時に、シュベッツが例えば椅子に乗ってきたり、食べ物を狙おうとすると、お父さんが「シュベッツ!やめなさい!」と叱る。するとすぐに従う。利口な犬〜〜と感動してしまった。

次第に僕はシュベッツに対して興味が湧いて来た。僕の部屋の窓からは広い庭が見渡せた。休日の昼、ふと窓を開けて庭を見渡すと、遠くにシュベッツが寝そべっていた。僕は、気づくかな?というくらい小さな音を立ててみた。すると、敏感にこちらを向き、尻尾を振っている。可愛いな・・・と思った。

ある日、学校から帰ってくると家には誰もいなかった。ただシュベッツが静かに昼寝をしていた。僕に気づいて起き上がり、僕の後ろをついて来た。遊んでほしいのだろうか・・・でもゴメン、ちょっと体調が良くないから寝たいんだよ・・・と思いながら、階段を上る。すると、シュベッツも一緒に階段を上る。僕の部屋は3階だが、3階には子供も犬も上がってはいけない決まりになっていた。どうしよう・・・シュベッツは3階までついて来るのだろうか、追い返さねば・・・と思いつつ、僕が3階の階段に足をかけた途端、シュベッツはくるりと踵を返し、1階に戻って行った。可愛そうなことしたな、と思うのと同時に、ビックリしてしまった。3階には行かないようにと、躾られていたことを僕は知らなかったのだ。

この頃になると、僕は段々、シュベッツに対して恐怖心よりも「可愛い」という気持ちの方が増していった。それでも、まだ触れることは出来ずにいたのだが、ドイツ人学生がこの家にやってきたのがきっかけで変わった。このドイツ人は、大の犬好きらしく、朝の通学前に、玄関のドアを開けて、シュベッツが物凄い勢いで走り向かってきても全く怯えず、楽しそうに戯れ、そして可愛がっていた。その姿を見て、シュベッツが猛烈に愛おしくなった。それまで、僕に向かって走ってきた時にドアを閉めたり、遊んであげずに3階に上がったりしてしまったことが、妙に後ろめたく、シュベッツに対して悪いことをしてしまった、という気持ちになった。そうだ、もう、玄関のドアを開けてシュベッツが全速力で走って来ても、決して逃げない。ドアを閉めたりしない。そう決めた。

翌朝。ドアを開ける。僕に気づいたシュベッツが全速力で走って来る。僕は立ちながら、シュベッツが到着するのを待った。決して、逃げない。やはりその走る姿には迫力があったが、なんと、僕の目の前に来るとピタっと走るのをやめて止まったのだ。襲い掛かってくることもなく、ただ僕の前で尻尾を振っているだけだった。シュベッツ!!!!今までゴメン!!!なんて可愛いんだろう!!!

これが僕のシェパード好きの始まりだ。

後編につづく


異国にて…

エッセイ目次