名犬ベン、ひと夏の巡り合い・・・そして、別れ

名犬フラッシュと出会ったのと同じ時期にベンという犬の存在を知った。僕がシェパードやゴールデン・レトリバーなどの大型犬が好きだと知った社長は、早速ベンのことを教えてくれた。僕のアパートから歩いて10分程、社長のアパートからはほんの数十秒のところに、ピザのレストランがあった。窓越しから見える店内はいつ通っても賑わっていて、相当美味しいレストランなんだろうな、とは思っていた。そのレストランの前で、いつもシェパードが寝そべっているという。早速社長と行ってみたのだが、その時は残念ながら居なかった。そして次の時もいなかったと思う。結局、3度目の正直でやっと出会えた。

シェパードがよくするように、体全体をベターっとだるそうに地面にくっつけて休んでいる。僕達が近づいてもぴくりともしない。怒りもしなければ喜びもしない。フランスの犬は躾られているので、他人の犬でも触るのは怖くない(日本だと他人の犬に触るのはとっても怖い。吠えられ、噛み付かれ、襲われる可能性が高い・・・)。頭を撫でても手を触っても、微動だにしない。相当年を取っているように見えた。

それから僕は何回もその道を通り、ベンがいるかどうかを確かめた。そのうち、僕と社長は店の人達とも顔馴染みになった。ベンがいないと、「今いないんですか?」と店の中まで入って問いかけ、「今、いないんだよー」と親切に答えてくれた。ある時は、一日の内で何回もベンに触りに行っていたものだから、さすがに夜にまた行った時には、店員がひょっこり顔を出して、
「またかい?!?!(Encore?!?!)」
と笑いながら言っていた程である。

僕はもうすぐブザンソンを出て、パリに行くことになっていた。そして、あと1ヶ月とちょっとしたら日本への帰国である。感傷に浸りながら、僕は連日ブザンソンのあちこちを歩き回り、思い出のある場所を写真に撮って行った。勿論、ベンの写真も撮った。決して、大袈裟に喜んだり、甘えてくるわけでもない。とっても大人しい犬だった。

そんなある日、店の人達と話をする機会を持てた。ベンは以前、捨てられた犬で、今はもうかなり年をとっているという。とても心が優しく、人に対して悪さはしない。
「でもタチの悪い酔っ払いが、ベンに絡んだ時は、物凄く怒ってた!」
と、女主人は笑いながら言っていた。

以前から、このピザ・レストランは気にかかっていた。そして入り口のところには、日本の風鈴らしきものが飾られている。
「あ、これね、以前日本人に貰ったんだよ。すごく素敵だからずっと飾ってる」
毎昼、毎晩の賑わい、そして食事時に通った時の窓から漏れてくるいい香り、シェパード、そしてこの風鈴。何かと気を引いてくれる店だ。・・・こんな風に顔を覚えられたら、「じゃあピザでもいかが?どうぞどうぞ、店に入って」なんて言われてタダでご馳走してくれたりして!!!などと、社長と妄想を繰り広げたが、そうでなくてもブザンソンを去るまでの間、一度食事をしに来よう。
「そうだ、先ほど撮った写真も何枚かお渡ししますよ」
と約束し、何とかピザを食べられるように日程を調整しようと思った。

だが、結局その店でピザを食べることはなかった。「じゃあピザでもいかが?どうぞどうぞ、店に入って」という台詞を聞くこともなかった。ブザンソンを去る間際になって、何かとバタバタしていて、調整が出来なかったのだ。それでも撮った写真は渡そうと、ブザンソンを去る日に、店に立ち寄った。あいにくベンも女主人もいなかったが、若い店員はいた。
「おお!元気?あ、写真?ありがとう!渡しておくよ」
じゃあ、と去ろうとした時、彼は、
「ジュースでも飲んでく?」
と言ってくれた。どうせなら食事もしたいと思ったのだが(勿論お金を払ってね)、あいにく出発の時間が迫っていた。僕は、今日でブザンソンを去るということは口にせず、
「ありがとう。でも、今日は時間がなくて・・・」
と濁して、後ろ髪を引かれる思いで店を出た。

寂しかったのだ。ブザンソンを去ることも、ベンに会えなくなることも、あの店の人達の明るさと優しさに触れられなくなることも。そしてあの店の中でピザを食べられなかったことも。だから、「去る」と口にして、別れの挨拶などしたくもなかったし、されたくもなかった。いつも通りでいたかったのだ。

 ・・・・・・

それから1年後、まだブザンソンに残っていた社長から受け取ったメールには、ベンが亡くなったことが記されていた。相当年をとっていたし、弱っていたからなぁ。
「でも、コウがあげた写真はきちんと飾られていたよ」
と書かれており、とても嬉しかった。店の人達は、風鈴が飾られている入口のところに、僕の撮った写真を貼り、ベンを偲んでいるのだ。

そしてブザンソンを去ってから3年後、僕は再びブザンソンに赴いた。1泊2日ではあったが、友人と町の隅々を歩いた。あの店も変わらずにあった。勿論、ベンはいない。昼時が終わり、「準備中」の店の中に入ると、あの頃と同じいい香りがした。そして、すぐに目に飛び込んできた。誰かがあげた日本の風鈴、そして僕が撮ったベンの写真。閑散とした店の中に僕の知っている人は居なかったが(休憩で何処かに出ていたのだろう)、出てきてくれた店員に、この写真は僕が撮ったんです、と話すと、
「この写真を見て、いつも皆でベンを思い出してるんですよ」
と言って、ニッコリ微笑んだ。ベンはいつでも、あの店の中で生きているのだ。


 ☆☆☆余談☆☆☆

僕の歌「青春の風」は、この時のブザンソン散歩をテーマにしています。とはいっても、9割がノンフィクション、1割はフィクションですが。但し“寝そべるシェパード”とはもちろん・・・・・・。


異国にて…

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