第48話
声掛けられて

2月2日(火)。昨夜泊まったユースは悪くはないが、交通の便もいまいちでさほど気に入らなかったので、朝のうちに中心街にあるユースに早速お引っ越し。受付で感じのいい日本人青年に声を掛けられた。東京の大学生で、卒業前に一人でヨーロッパを旅しているのだという。「今夜の予定は?」と訊かれたので、一人でバーに行こうと思っていたと話すと、彼は目を丸くした。
「一人で?!スゴイねぇ〜・・・。良かったら、一緒に飲もうよ」
僕は快くOKした。一人で旅をしていると、無性に誰かと話をしたくなるのだ。ずっと無言でいるので、感動を分かち合ったり、笑ったりしたくなるのである。
「何時にする?」
と訊かれたので、僕はいつもの調子で、「じゃあ、9時か10時でどうでしょう?」と答えた。すると、彼はまたまたビックリ仰天して、
「ええぇっ!9時・・・?遅すぎない??」
「そうですか?じゃあ、8時でどうですか?」と提案し、ユースで待ち合わせることにした。「9時か10時」に驚かれたことが何となく不可解で、正直言って8時に待ち合わせというのも僕としては「早過ぎるなぁ」と思ったのだが、その時点では“あること”に僕は気付いていなかったのである。

彼とひとまず別れ、僕はひとりでユース近くにある広場に行き、ベンチに座って大聖堂をボーッと眺めてから、「fnac」(CDや書籍を扱っているフランスの大型チェーン店)を見つけたので、そこに行こうと歩いていたら、ある男に声を掛けられた。見るとホテルの制服を着た若い男だった。一見極普通の若者で人相も悪くないし、特に怪しくは見えないが、危険人物である可能性も否めないので僕は警戒した。英語を話せるかと問われたが、それには答えず「フランス語なら話せるけど」とわざと言った。すると驚いたことに、彼も少しフランス語を話せると言う。ヨーロッパの人達は「少し話せる」というのなら本当に少しであるし、「話せる」という時は本当に話せることがほとんどなのだが、彼に至っては「少し」と言いつつも、かなり達者な部類であった。
「さっき、大聖堂のある広場にいたよね?僕は、その側にあるホテルで働いてるんだけど、3時で仕事が終わるんだ。その後、良かったら観光案内してあげるけど、どう?」
流暢なフランス語で、時間と場所まで指定してきた。勿論、僕は断り続けたのだが敵はしつこい。いきなり声をかけてきてそういう提案すること自体怪しいが、ヤクザ絡みの店に連れて行かれて法外な金額を根こそぎ取られたり、怖い目に遭ったり、という話を聞いたこともあったし、この人がそういう関連の人なのかどうかは分からないけれど、怪しい匂いがプンプンしたので、「じゃあ待ってるよ!」と言われて別れても、その場所へは向かわなかった。

fnacを覗いてから、感じのいい店でパスタを食べ、モンジュイックの丘に向かった。地下鉄を出てから道が分からなくなったところに丁度警官が立っていたので声を掛けた。「すみません、フランス語話せますか?」との問いに、一言「ノン」で、そっぽを向かれた。何とか自力でモンジュイックまで辿り着き、丘の上からバルセロナの街を一望した。

街中に戻るバス停で、一緒に待っていたおばあさんに話し掛けられた。が、無論言葉は通じない。相手は英語もフランス語も話せないのだ。フランス語から類推して「寝る」と思われる単語を聞き取れたので、何処に泊まっているのか訊かれているのだろうと思い、ユースホステルだと答えた。しばらくの間、スペイン語(もしかしたらカタルーニャ語だったかも知れない)とフランス語での会話は続いた。

ケンタッキーで夕飯を摂り、ユースに戻るとYさんが既に待っていた。じゃあ行こうか、と立ち上がった彼が次に発した一言に僕は凍りついた。
「お腹空いた〜。何も食べてないんだよ〜」
僕はここで、初めて気が付いた。「9時では遅い」と言われたのは、食事も共にするということだったのだ。僕の頭はフランス式になっていた。スペインも同じヨーロッパであり、しかもフランスの隣国である。フランスでは友達と「飲みに行く」となれば、各々が食事を済ませてから、9時、10時で集まるのが普通だった。勿論、「食事をしよう」ということであれば話は別だが、日本と違い、食事は別、というのがほとんどだったのだ。だから、バーも9時ではまだ空いていることの方が多い。日本だと「飲みに行く」のであれば、食事付きを意味するので、少なくとも3,000円以上はかかる。だが、フランス式だと貧乏人学生にはうってつけである。飲み代しかかからないからだ。

Yさんには「飲みに行こう」と言われたので、僕はてっきり「ただ、飲みに行く」と捉えていた。ここ最近ずっと、例え日本人の友達であろうと「飲みに行く」とは「ただ飲むだけで、食事はなし」という認識でいたので、同じヨーロッパのスペインという地で、純日本式の「飲みに行く」という意味を思い出すまでに時間がかかっていた。そこで僕は、
「僕は先に食べてきたので、僕はもう食べません。お腹が空いているのであれば、僕は側で見てますから、どうぞ気にせずに食べて下さい」
とは到底言えなかった。罪悪感にかられながら、僕も何も食べてなくて腹を空かせているフリをした。時間は既に8時。どのレストランも満席で探すのに苦労した。歩き回って何とか席のあるレストランに辿り着いた。注文した料理を前に、やはり僕は「もう食べた」とは言えずにいた。

意外にも共通のアイドルの話などで大盛り上がりし、店を変えて飲み、ユースに帰ったのは夜中の2時頃。その前に彼は銀行のカードがATMに吸い取られてしまったり、腹を空かせて夜8時まで何も食さずに待たされた挙句、レストランはどこも満席で探すのに一苦労したりと、何かとツイていない日であったに違いない。

第49話につづく

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