第45話
半年後の語学力

1月21日(木)。学校から帰宅したら大家がいた。そして水道の詰まりが直っていた。壊れていたテレビのアンテナも直っている。ポールは先日割った僕のコップの弁償として新しいコップを買ってきていた。キッチン、ダイニングが元に戻った。しかし、かのポール。
「君の部屋に入ったのは大家さんで、ボクじゃないからね!」
「水道を直す時に君の箸を使わせたのは、ボクじゃないからね!」
誰も訊いてないし咎めてもいないのに、自ら先手を打ってくるポール。そんなこと気にもしないのに・・・。余計なことを言われて逆にムッとくる僕。

アメリカのケネディー先生から電話が来た。結局、僕は2月のアメリカ行きは断念することにしたことを伝えた。
「その方がいいかもね。来るなら是非夏に」
物事には“勢い”が大事である。この2月にアメリカに行こうと思ったのは、ふとした思い付きとノスタルジーであったが、今を逃したらこの想いも逃げていくような予感はしていた。夏は北欧に行こうと思っているし、どうなるかは分からなかった。(結局、夏になってもアメリカには行かなかった)
「だから2月はスペインに一人旅することにした」
「スペインか。いいねぇ」
国際電話だというのに、話はそれて思い出話になっていく。
「コウ、覚えてる?ニューヨークに行った時、君がボケーっと考えごとをしてたから“What are you thinking?”(何考えてるの?)と訊いたら、君は“I'm thinking that you're old.”(ケネディー先生は老けてるなぁってこと)って答えたんだよ!」
「ウソ?!そんなこと言った?」
「言ったよ!いつも君は“You're old.”(ケネディー先生は老けてる)って言ってた」
「それは事実」
「君が最初ジョージアに来た頃は、あまり英語が話せなくて、いつも“ん?ん?ん?”って聞き返してたね」
「あ〜、そうだったね。いつ頃からスムーズに会話が出来るようになったんだろう?自分では分からない」
「2月頃じゃないかな。ニューヨークに行った頃(3月)だったかな・・・」
ということは、渡米して半年経った頃である。でも確かに、ちょうどその頃から交友関係が広がり、話すことも多くなっていったのだ(アメリカ留学記参照)。今の自分のフランス語はどうなのだろう?アメリカ時代は、南部なまりが本当に分からず、最初の頃は会話にてこずったものだ。だからこそ余計に語学力の上達度はグンとアップしたと思えるはずだが、フランスではアメリカの時のように、言葉が分からなくてどうしようもないということはなく、どうも上達しているんだかしていないんだか、分からない。それに、アメリカ時代は周囲に日本人はおらず、留学生も少なかったので、話す相手といえばほとんどがアメリカ人だった。しかし今は、フランス人よりも他国からの留学生や日本人と話す機会の方が圧倒的に多い。「留学生ともっと知り合いたい」と思っていたアメリカ時代、「留学生よりもフランス人ともっと知り合いたい」と思っているフランス時代。当時と今では状況と願望が丸っきり逆なのであった。

1月25日(月)。学校は今週で前期終了。テスト週間に突入だ。ハルザキさんと夕飯を食べた後、家に来て「現代フランス語」の勉強を共にした。あまりにも難し過ぎて苛ついてくる程だった。フランス人でないと理解不可能であろう文献。言葉を理解するにあたっては、単語と文法を知っていればいいというものではない。その国の背景を知った上で理解出来ることが沢山あるのだ。

テストはどれも難しかった。やっぱりフランス語は上達していないのではないか・・・と思うと、2月の休みは悠長にスペイン旅行なんぞしている場合でなく、短期でフランス語の語学学校に通うべきではないか、とさえ思えてくる。しかし思い直す。休みの時くらい、フランス語の勉強から頭を解放してやろう、と。・・・普段それほど無我夢中になって勉強しているわけでもないクセに。

第46話につづく

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