第19話
住み処

レベル分けテストの結果、僕は2Aに属された。レベルは大まかに、1=初級、2=中級、3=上級となっていて、更にA、B、Cに分かれていた。僕は3日間授業を受けてみて、自分のクラスが少し簡単だと感じ、不安になっていた。ストラスブールでの授業が超ハードだったからそう感じたのかも知れないが、語学の授業というのは、今の自分の力よりも少し上のレベルで受けていないと上達しないので、僕は3のクラスに変更したいと思った。変更したい理由はそれだけではなく、3のクラスで履修できる科目の興味深さ、3のクラスを1年間続けて最終試験で合格点をとると、フランシュ・コンテ大学文学部の2年次に編入する資格を得られること、また同じ大学の先輩がこのCLAに以前留学していて、その留学報告書に3のクラスの良さが書かれていたことが挙げられた。

クラスを変更するのであれば、科目の正式登録前に手続きをする必要があるので、僕は早速、クラス分けを担当しているジャックのオフィスに行き、クラス変更願いを申し出た。ところが、あっさりと「ダメだ」と言われてしまった。しかしそこで諦めてはいけない。ここはフランスである。“要・粘り強いネゴシエーション”の国。それに、学生が意欲を出して上のクラスで頑張りたいと言っているのを、いとも簡単に拒絶するのはおかしいと思い、僕は主張を続けた。すると、ジャックは作文とオーラルの先生がOKだと言うのであれば、クラス変更を認めると言う。明日の放課後にまた来るよう言われた。

今日の午後は、歓迎パーティーでアペリティフを飲んだ。昼間からアルコールとは、さすが粋なフランスだ。ふと、ある男と目が合った。レベル分けの作文テストの時、僕の隣に座っていた人だ。会釈をしてきたので挨拶をした。てっきり日本人だと思っていたら、彼は台湾人で名前をアレックスと言った(中華系の人たちの名前は外国人にとって発音が難しいということで、皆西洋の別名を持っていた)。
「そうなんだよ、よく日本人に間違えられるんだ。台湾でも、街を歩いてると台湾人に日本人と間違えられて、日本語で話しかけられることがあるよ」
本当に彼は日本風の顔立ちだった。その後、僕たちは親しくなるのだが、周囲には「アレックスとコウは見分けがつかない。どっちがどっちだか分からない」と、しょっちゅう言われた。日本人にまで!どうやら、僕たちは顔が似ているらしい。僕はどのアジア人に会っても「君は典型的な日本人顔だね」と言われていたので、そんな僕に似ているアレックスが台湾にいても日本人と間違えられるのも頷ける。

パーティーでは日本人とも話した。そこで僕は、CLAが青山学院大学と提携していて、毎年青学生が留学していることを知った。彼らは2月にブザンソンに来ているので既に半期を終えているとのことだった。ということは、半年後には別の青学生たちがやって来るということだ。「ブザンソンでは何処に住んでるの?」と訊かれ、「中心街のアパート」と答えると、しきりに羨ましがられた。僕も「皆は何処に住んでるの?」と訊くと、「プラノワーズ」と答えられた。プラノワーズ・・・そういえば、アレックスもプラノワーズに住んでると言っていた。一体、プラノワーズとは何ぞや?町の名前?寮?皆してプラノワーズに住んでるなんて、なんだか取り残された気分。
「プラノワーズって何?地域の名前なの?ブザンソンにあるの?」
「そう、地域の名前。ここからバスで20分くらいのところ。CROUSの寮が密集してるんだ。だから学生が多い」
なるほど・・・。僕は逆に、プラノワーズに住んでいる皆が羨ましく思えた。街中のアパートに住んでる学生はあまりおらず、プラノワーズ住民が多かった。毎晩パーティーが繰り広げられて楽しいんでないだろうか?と、ちょっと孤独を感じてしまったが、程なくプラノワーズ訪問をしてその治安の悪さや乱雑さを目の当たりにし、中心街に住んでいることの便利さと快適さを思い知ることになる。フランスは、街中よりも郊外の方が治安の悪い場合が多い。僕のアパートは、中心街のど真ん中にあったが、あんなに安全なところはない!何よりもとにかく便利だった。僕のアパート沿いには、日曜日でも空いているタバコ屋、スーパー、パン屋がある程だった(フランスでは大抵の店が日曜日休み)。交通にも不自由しなかった。駅にも学校にも歩いて行けるし、夜遅くなってもバスの時間を気にする必要もない。そして綺麗で快適なアパート。恵まれすぎと言っても過言ではなかった。

余談:プラノワーズにはアラブ人を始め、多くの移民が住んでいたこともあり、治安は悪化の一途を辿っていた。盗難事件やレイプ事件の話がしょっちゅう飛び込んでくる。そんなところに住んでいるなどと、日本の家族に知らせたら心配するし、親がフランスに遊びに来てもプラノワーズには連れて行かなかったという友達もいた。なんでそんなところに住まわせるのか、という疑問の声も当然の如く上がっていた。青学生たちの住居はプラノワーズから中心街に移ったという話を聞いたのは、僕たちが帰国して数年後のことだった。

第20話につづく

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