第3話
語学力の問題?!

彼女たちは東京の大学生だった。もしや、僕と同じ語学学校に通っている人たちだろうか?と胸を躍らせた。が、ただの旅行者で、ドイツに旅行に来たついでにストラスブールに寄ったとのことだった。友達を作るチャンス!と喜んだのも束の間だった。僕に話しかけたのは、ストラスブールでは何が美味しいのか訊く為だった。しかし、僕はここに来てまだ2日目。何が美味しくて、どこのレストランがオススメなのか、何も知らない。が、そういえばマダムに、名物料理の名前を教えてもらっていたのだった。ところが、その名前を思い出そうとしても思い出せない。何だっけ・・・何だっけ・・・と、必死に思い出そうとした。すると、ふと目に飛び込んできたのが僕の目の前にあった絵葉書に、「chouette(シュエット)」の文字。ハッ!と思い出し、僕は彼女たちに自信満々に告げた。
「そうそう、コレ!“シュエット”っていうのが美味しくて、この辺の名物料理らしいよ!」
「“シュエット”・・・ですか?分かりました!じゃあ、早速レストランに行って注文してみます。ありがとうございました!」
僕は随分感謝され、別れた。

家に帰ってから、ふと思った。
「あれ、さっき“シュエット”って教えたけど、本当に“シュエット”で良かったのだろうか」
突然不安になった僕は、辞書を引いて、蒼ざめた。なんと、“シュエット”とは“ふくろう”のことで、フランス語の話し言葉では「素敵!」という意味で使われるのだった。ストラスブール(アルザス地方)名物の正しい料理名は“シュークルート”。“シュ”しか合っていなかったわけだ。それが、たまたま僕がふと見た絵葉書に“シュエット”と(しかもふくろうの絵付きで)書いてあった為に、僕は彼女たちに嘘を教えてしまった!あの2人、レストランで「ふくろうを2人前下さい」なんて言ってないだろうか・・・と思うと、いたたまれない気持ちになったと同時に、ヘンなことを教えてしまった僕自身が可笑しくてたまらなくなった。

この日、同じ家にステイしているアメリカ人のマイクと初対面した。僕と同い年で、見た目の印象とは少し違い、口数が少なく、いつもうつむいている感じだった。話すにしても、彼が自分から話しかけてくることは皆無で、皆で食事している時も無言だった。決して根暗ではないはずなのだが、はっきりしない感じだった。きっとアメリカ人同士でいる時は違うのだろうな、と思った。実際のところ、マダムによるとマイクは医者の息子で、フランスには本人の意思というよりも親が来させたのだそうで、通っている学校も、アメリカ人しか通わないアメリカ人用のフランス語学校。マダムはこの件に関して、
「あの学校は良くない。せっかくフランスにいるのに、いつもアメリカ人同士で固まって、学校ではいつも英語ばかり話している。だから、フランス語が全然伸びない。マイクは自分の意思で来たわけではなくて、親が来させてるから、本当は可愛そうなのよね。とはいえ、コミュニケーションを全然取ろうとしないのは良くないわね」
と言っていた。僕が何か話しかけたとしても、いつもほとんど一言返事、そこから発展することは皆無で、いつからか話しかけることさえしなくなってしまった。街中でアメリカ人同士でいるところを見かけた時は、楽しそうにしていた。「自分はフランス語が話せない」というコンプレックスでもあるだろうか、と思った。

話している時の理解度や、強烈なアメリカ語訛りから察するに、フランス語を話すこと自体が苦痛であるようにも見受けられ、しかも自分の意思でフランスに来たわけではないことを知ってからは気の毒に思った。でも努力して話そうとする姿勢がないことに苛立ちを感じつつも、僕は心の片隅で「分かる気がする」と同情していた部分もないわけではなかった。フランス語が出来ないから口数が少ない、けれど口数を多くしないからフランス語が上達しない、という悪循環。僕はストラスブールに着いてから、高校時代のアメリカ留学をしきりに思い出していた。英語が大の得意で、話すことも大好きだったのに、アメリカに着いた途端、僕は「英語が話せない人」というレッテルを貼られ、ホストファミリーには散々おとなしいと言われ続けた。僕は決して無口ではなかったはずだった。学校では「よく喋る」と言われていたのに、家に帰ると「おとなしい」と言われる。言われれば言われるほど、話しづらくなる。日本ではアメリカ人やイギリス人の先生に鍛えられ自信を持っていたのに、アメリカに着いた当初は、南部訛りも手伝って英語を理解することが容易ではなかった。そのうち「英語が話せない」という意識になり、英語を話すこと自体がイヤになりそうなこともあった。それでもコミュニケーションの手段として、話さないわけにはいかず、なんとかそこを乗り越えたのだ。

マイクの気持ちは分かる気がしたけれど、当時僕の場合は「どこに行っても日本語は一切通じない、だから英語を話すしかない」という状況であり、マイクの場合はこの生活環境において「フランス語しか通じない」という状況でもなく、当時の僕とはまた違う境遇だった。同じ家に居ながらにして、いい友達になれなかったことは残念だった。

第4話につづく

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