2014年11月、ジョージア行きを決めてすぐに連絡をしたのは、もちろんホストファミリーである。ホストマザーは快く僕の来訪を受け入れてくれた。ホストファミリー宅に2泊し、最後の1泊を当時留学先の高校でお世話になった音楽のK先生宅に泊めてもらうことにした。そして、今やジョージアにいる友人たちもかなり少なくなっているが、その中でも何人か会えるということで20年ぶりの同窓会を開くことになった。

その後、飛行機の予約を完了したと同時に、ホストマザーに、アトランタ空港に着く時間を伝え、迎えをお願いしていた。アトランタ市内ならまだしも、車で高速に乗って数十分、公共の交通機関など走っていない区域だから、誰かに迎えに来て貰わないと辿り着けないのである。泊まるところも迎えも確保し、お土産も買い揃え、いよいよ準備万端、あとは出発を待つのみとなった2月下旬。僕の頭の中では、ホストマザーと空港で抱き合って歓喜の涙に暮れる、20年の感動再会物語が100回以上は繰り返し上映されていた。再会する予定の友人や先生らからも「あと少しで会えるね〜」などと他愛もないメールが届いて、否応なしに興奮させられる。しかし出発まであと1週間を切った頃、ふとした予感が頭をよぎる。
「ホストマザーはちゃんと空港に迎えに来てくれるのだろうか?」
1週間前になって、特に連絡もないのだから、予定には変更ないのだろう。しかしなぜか気になる。頭の中に、意気揚々とアトランタ空港に着いたのに誰も迎えに来てなくてひとり立ち尽くす画が浮かぶ。いや、まさか〜、と思いつつも念のため確認のメールを入れてみる。「3月5日の12時に空港に着くから迎えに来てね」。しかし1日経っても2日経っても返事がない。返事がないということは、やっぱり変更はないのだろう。そう思うことにした。

と思っていたところに、3日経ってやっとホストマザーから返事が来た。「おお、来た来た」と何も考えずにそのメールを開けた瞬間、世界が止まった。
「日中は働いてるから迎えに行けないの。悪いんだけど、レンタカー借りて自分で運転して家まで来てくれる?お金は私が払うわ!ちなみに、私は仕事から戻るのが5時45分。それまでは誰も家にいないのよ。でもあなたの部屋は準備OKだし、その夜は娘(ホストシスター)とR(ホストマザーの親友)も呼んでるわ!」
なぬーーーーーーーーーーーーーっ?!ホストマザーよ、貴殿は今や仕事を辞めて専業主婦なのではなかったか?!しかもこの僕にレンタカーを運転して来いとは・・・国際免許を持っていないどころか、自慢ではないがペーパードライバー歴15年である。というか、それよりも何よりも、なぜ出発数日前になってそれを言う?もっと早く言ってくれよ!しかも僕からメールをしなかったら、この事実を知らされることなく、本当に「空港でひとり立ち尽くす茫然物語」になるところだったではないか!あの予感は当たっていたのだ。フムフム、侮るなかれ、我が予知能力よ!と、感心している場合ではない。この状況をどうくぐり抜ければ良いのだ?誰かに迎えに来て貰わねば、どうもこうも身動きが取れないのだ。と、ここである人の顔が浮かぶ。茫然としながら、音楽教師K先生にメールを打つと、間を置かずして「その日はたまたま仕事が休みだから迎えに行ける」との返事。心底ホッとしながら、思わず苦笑いをしてしまった。この状況、20年前と全く同じなのだ。ホストファミリーの問題などで僕が困ると、すかさずK先生に助けを求めるというこの構図。懐かしささえ感じるが、20年経っても、そして20年ぶりなのに変わらないとは・・・笑うしかない。

ジョージアに着いてから知ったことだが、ホストマザーが仕事を再開したのは今月からとのこと。とはいえ、僕が確認のメールを出さなかったら・・・と思うとゾッとする。


1995年当時、留学先のキャス高校にて

Part 3 「出発前からイライラ…すべてがスムーズに行くワケはない」へ

INDEX
Part 1 20年ぶりに降り立ったアメリカ、その時胸の高鳴りは…
Part 2 誰も迎えに来られず、あわや“空港でひとり茫然物語”…?
Part 3 出発前からイライラ…すべてがスムーズに行くワケはない
Part 4 ついに再会!けど、冗談もほどほどに!
Part 5 なぜか日本食レストランで
Part 6 記憶にございません
Part 7 マッサンと美しいケツ
Part 8 穏やかな人、穏やかな空間、切ない時間
Part 9 See you later, alligator!
Part 10 ジョージア最終日に“だっふんだ!”
番外編 サンフランシスコぶらり散歩〜ミッション・ポッシブル〜