・・・ゼロだった。

まさか自分の人生の中で、再びアメリカの地を踏むことになろうとは予想もしていなかった。高校2年時の1年間、アメリカ南東部に位置するジョージア州アトランタ郊外に留学し、帰国する時にはホストファミリーや友人たち皆に「来年、アトランタ・オリンピックにボランティア通訳として戻って来るから!約束する!また来年会おう!!」と大豪語して別れたのだが、アメリカなどには見向きもせぬまま20年も経ってしまった。イッパシのオオカミ少年になった気分である。勿論、アメリカで過ごした1年は強烈だったがゆえに、数限りない出来事を思い出すことはしょっちゅうあったし、懐かしく思うこともしばしばだった。でも、再びあの地に行くことはないだろうと思っていた。

しかし自分の意志とは別にチャンスは突然やって来る。転職したアメリカ企業では、入社後、カリフォルニア州サンフランシスコ郊外にある本社に研修に行く機会が与えられていた。20年ぶりのアメリカ。せっかく行くなら、あのジョージアにも行ってみようかと思う気になった。サンフランシスコとジョージア州州都アトランタは飛行機で5時間の距離だが、航空業界の七不思議、「東京⇔サンフランシスコ」の航空券代と、「東京→シカゴ(乗り継ぎ)→アトランタ→サンフランシスコ→東京」という周遊券の金額はほぼ同じなのだ。このチャンスを逃す手はない。ジョージアに行こう!皆に会いに行こう!そう決めて、あらゆる人たちに連絡をしたのが2014年11月のことだった。それから約4ヶ月、20年ぶりの再会を妄想しては胸熱くなる日々を送った。

20年ぶりに降り立ったアメリカの空港は、乗り継ぎ地のシカゴだった。20年ぶりなのだから、さぞや感動と興奮に満ちたアメリカ再上陸だと思われるだろうが、さすがに20年も無関心であり続けたアメリカであるからか、「20年ぶりのアメリカだ!」という高揚感も感動もゼロ。外国にいるという感覚もゼロ。外の気温もゼロ度。ゼロづくしからスタートした旅だった。いや、実際のスタートはマイナスからだった。日本出発前からあれやこれやと、まぁまぁまぁ、イライラさせられたではないか!再会の場面に行く前に、まずは出発前の出来事から記すとしよう。


1995年当時、留学先のキャス高校にて

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Part 1 20年ぶりに降り立ったアメリカ、その時胸の高鳴りは…
Part 2 誰も迎えに来られず、あわや“空港でひとり茫然物語”…?
Part 3 出発前からイライラ…すべてがスムーズに行くワケはない
Part 4 ついに再会!けど、冗談もほどほどに!
Part 5 なぜか日本食レストランで
Part 6 記憶にございません
Part 7 マッサンと美しいケツ
Part 8 穏やかな人、穏やかな空間、切ない時間
Part 9 See you later, alligator!
Part 10 ジョージア最終日に“だっふんだ!”
番外編 サンフランシスコぶらり散歩〜ミッション・ポッシブル〜